つわりの基礎知識と体験談

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つわり体験集

つわりと流産、および妊娠悪阻が原因の中絶 

投稿してくださった皆さんに心から感謝します。できるだけ長い間、ここに来てくださる皆さんに見てもらえることを願っています。

藁でもすがりたい気持ちの時に、流産や中絶などのもっとも見たくない記事をご紹介することをお許しください。
妊娠悪阻が悪化の一途をたどり、母体に危険があると判断される場合は中絶となる場合があります。
皆様の投稿の中でも、時々長期にわたり苦しみぬいた入院生活の末の中絶体験のコメントを受け取ることがありまして、
このような辛い話を妊娠初期の女性達にご紹介することを迷って5年ほど体験談に載せない時期がありました。

ですが、
都合の悪い部分を隠してしまうのは、現在まで続くつわりを遠回しに情報操作してまで隠ぺいしてきた産ませる側の人達とどう違うのだろう?

何より、妊娠悪阻の悪化後の中絶体験を闇に葬れば私達は幸せなのだろうか?
それではこれらの辛い体験をした方はいつまでも孤独になってしまう、、

と考え、体験談としてご紹介する方に方向転換しました。

また、つわり中の流産の投稿もご紹介しております。
つわりは赤ちゃんが元気な証拠だという励まし言葉は、反対につわりが急になくなったとき、またはつわりのない方を不安にさらす言葉でもあります。
実際にはそのような単純なことではないということなのかもしれません。

妊娠中の方、辛いと思われました場合はすぐに記事を読むのをお止めください。

悲しいしか言えない -(2014/02/25(Tue) 03:23:43)

このホームページを見て大変失礼かと 思いますが 
私は何人目の妊娠中 私は現在妊娠何周目の、など沢山同じ様なコメントが並んでいますが  
私は過去三回重度な悪阻で苦しみ
三回とも悲しい結末を迎える経験をし   
いまだこの現実にやり場のない思いでいます。

まず苦しい悪阻なのにこのサイトに来て文章を読んだりコメント出来たり出来る時点で私は皆様方を 羨ましく感じます。
なので今現在悪阻で苦しみながらでもこのサイトをご覧のあなたは大丈夫。自分で行動出来るのだから

(匿名希望) -(2012/10/31(Wed) 16:27:12)

私は第三子を妊娠した際、つわりがひどく入院して点滴による栄養補給の治療を受けましたがその際医師がビタミンB1の量を適切にしなかった為ビタミンB1不足になり「ウェルニッケ・コルサコフ症」という健忘症候群を発症し記憶力が悪くなり、お腹の子は舅&姑に「変な子が生まれてきたら困る」と堕胎させられました。
私はその為精神的に落ち込みうつ病まで発症し辛く苦しい毎日を送った時期が数年続きました。二人の子供がすでにいたのですが子供達にも随分可哀想な思いをさせてしまいました。つわりの対処法として私が言える事は・・・
自分自身も吐き気や嘔吐で大変な思いをしているけれど、お腹の中の赤ちゃんも大きくなる為に一生懸命にお母さんから栄養をもらい頑張っているのだから 一度にたくさん食べられなくても、回数を増やしたり、口当たりの良い物を選んだり、匂いの強い物を避けたり、色々な食品や調理法で口にできる物を探してお腹に入れて下さい。
仮に吐き出してしまっても食べた物全て吐き出すわけではないから赤ちゃんが栄養不足になる事はない・・と穏やかなな気持ちでいて下さい。私は第三子の時は色々な事で 精神的にも追い込まれていた為つわりが重症妊娠悪阻になり悲しい結果になってしまったと思っています。安産お祈りしています。

LavenderPot -(2012/09/16(Sun) 14:56:04)

私は6回の妊娠と、4回の出産経験のある、現在妊娠2ヶ月の主婦です。 現在の妊娠の前に繋留流産を経験しました。繋留流産とは胎児がすでに死亡(心拍消失)していて、母体に症状が出ていない状態の事です。 赤ちゃんの成長が止まったと推測される時期から1週間後に出血があり、受診した所事実を知らされました。それから3日後に自宅で赤ちゃんの亡骸を産みました。
悪阻は、赤ちゃんが亡くなった状態でも胎内にいる間中ありました。 私がその事実を知らない間も知った後もです。 いつ終わったか…、それは赤ちゃん(胎嚢)と胎盤が身体から出た瞬間です。 その時私は思いました。悪阻の原因といわれる説がいくつかあるけど、悪阻というのは赤ちゃんに対してでなく、胎盤の製造に対する反応なのではないかと。 「悪阻があるのは赤ちゃんが元気な証拠だから頑張って」と聞きます。現在悪阻で地獄の苦しみを感じておられる方には申し訳ないと思いますが…赤ちゃんが元気とは限らないのだなという厳しい現実を叩き付けられました。赤ちゃんが亡くなっていても胎盤と胎嚢は成長を続けます。その内事実に気付いた子宮は次の妊娠に備えて内容物を排出しようとします。
私も悪阻は毎度とても重いです。三子の時はほとんどウツ状態で死にたいとばかり考えました。乗り越えたというよりは時間に解決してもらったという感じです。 そんな私は、流産の経験を通して、「立派な胎盤を作って赤ちゃんに酸素と栄養を届けるために頑張って乗り越えるぞ!」と今回思っています。
悪阻は本当に辛いけど「無駄」な事ではないと思います。 確かに赤ちゃんが元気じゃなくても悪阻はありますが、身体は赤ちゃんの為に一生懸命立派な胎盤を作っているのです。 女性の身体の作りは本当に精密で素晴しい、男性にはもっともっと大切にして貰いたい、心からそう願います。

あむはちさん 05/01/30

妊娠に気付いたのは5週目。だんだんと仕事に行くことが困難になり、起きているときはほとんどトイレにこもりっきりというかんじで、家で寝ているばかりの生活になりました。体重もみるみる減り、1週間で10キロ以上減りました。
しばらくは重い身体を引きずりながらなんとか病院へ通って点滴を受けていましたが、7週目に入ってすぐに病院を変えたところ即入院となりました。入院してからもとにかく一日中24時間絶え間なく襲ってくる吐き気で気が狂いそうでした。水分すら受け付けないので胃のなかには吐くものがないのですが、吐き気がおさまる事がないので胃液・胆汁・血液ばかり吐いていました。気持ち悪さで眠ることもままならず、病院からは赤ちゃんに影響のない安定剤や睡眠薬、吐き気止めなどを処方してもらいましたが効き目は全くありませんでした。
また、点滴にも吐き気止めがはいっていると聞いていましたが、血管痛があるだけでこれもやっぱり効きませんでした。入院する時は「2~3日で楽になるからね♪」と言われましたが結局最後まで症状が改善することはありませんでした。
私の場合泣いている時と寝ているとき以外は常に気持ちが悪かったです。精神的に不安定になっているのでちょっとしたことですぐに悲しくなり、年がら年中泣いていましたが、あえて悲しいことを考えて自分から泣くようにもしていました。とにかく泣いているときは気持ち悪さを忘れていられました。
また、周囲の心無い言葉には本当に傷つけられました。
『つわりで吐くなんて異常だ。そんな人見たことがない』『精神的に弱いから我慢できないんだ』『お母さんになるんだからもっとしっかりしろ』『気持ち悪いぐらいのことでメソメソするな』『そんなに辛いなんて言えるのは子供への愛情が足りないからだ』・・・などなど本当に様々なことを言われました。そのたびに傷つき、腹が立ち、情けなくて悲しかったです。励ますつもりで言ってくれたんだろうと今になってわかるような言葉でも、その時の私には自分を否定する酷い言葉としか思えませんでした。

最終的に私は18週という短い時間で赤ちゃんとお別れしました。
お腹の中で赤ちゃんの心臓が止まってしまいそのまま子宮内に留まっている稽留流産でした。法律で4ヶ月を過ぎたら普通分娩するということだったので、普通にお産をしました。バルーンという赤ちゃんの頭より少し小さい風船型の器具を子宮に入れ、誘発剤で陣痛をおこし、バルーンと胎児を順番に出すというような手術でした。陣痛がはじまり分娩台に上がってから赤ちゃんが出てくるまでに5時間位かかりました。陣痛は気が遠くなるほど痛かったけれど、悪阻の苦しみにくらべればずっと楽なものでした。
つわりは病気じゃないからとか、自分に甘えがあるからという考えは間違っているということを多くの人に知ってもらいたいです。確かに不安や恐怖心など精神的なものも多少は影響していると思いますが、それだけではありません。重いつわりは自分の気持ちだけではコントロールできない、病気に近いものだと思います。それを理解しようともせず、自分の経験や少ない知識だけでものを言う方が多すぎます。
現在悪阻で苦しんでいる方、なるべくご自分がリラックスできる環境に身を置いてください。
『子供なんてできなきゃよかった』『なんで私だけが』『おろしたい』と思っている方。そんな風に思ってしまう自分が嫌で嫌でたまらないですよね。でも、あまりご自分を責めないでください。こんなに悪阻が辛いんですもの、そう思ってしまっても仕方がないです。こんな経験をしたら誰だってそう思ってしまいます。そんなあなたを責める人は誰もいません、少なくともここのママたちは絶対に責めたりしません。
あと何ヶ月か先にはあなたと、優しいご主人様と、可愛い赤ちゃんとの生活が待っています。
子供を亡くした私の言葉では説得力がないかもしれませんが、きっと素敵な未来が待っていますよ!!!

あなたの悪阻が少しでも早くおわりますように、健康な赤ちゃんをその手に抱けますように、心から願っています。

 

さくらんぼさん     2006/09/15

みなさんこんにちわ。今年で29歳になります。私も周りがビックリするほどに酷かったんです・・・今、思い出しても生き地獄と言う言葉がぴったりです。
妊娠がわかった次の週から食べ物、水、氷、自分のつばさえ受け付けず、ケトン+4の脱水が出て即入院・・ 24時間吐いてばかりで血や胆汁も出て、まったく寝れずの日々が続き点滴も血管が細くなり漏れては打ち直しの毎日、どんどん体力は落ち今度は吐きすぎての不眠、睡眠薬の筋肉注射をされました
。1ヶ月位たった頃でしょうか精神的にも落ち込み、周りの妊婦さん(入院中6人部屋)が楽しい会話や赤ちゃんのことを話している姿に憎しみさえ湧いてきました。(自分の余裕がまったくなかったんでしょう)食事中はカ-テンも締め切り、1日中吐き気と点滴の戦いでした。精神的にもピ-クが来たので無理して退院すると決め、お昼に退院をしました。
ですが。。。夜には気がおかしくなる位の吐き気で垂れ流し状態、即緊急入院。。何で私だけ???普通にみんなと同じように妊婦生活を送りたいだけなのに。。と毎日吐きながら泣いていました。
そんなある日突然口内炎が口の中に20個は出来(看護婦さんが言うには)もうつわりと戦う気力さえなくなっていました。。それでも、入院生活が(点滴の恐ろしい数)受け付けれず、3ヶ月の入院で退院、その日のうちに緊急入院を3回繰り返しました。電解質のバランスがとれず、とうとう42キロくらいあった体重は27キロまで落ち、体は首しか動かなくなり、床ずれが背中やお知りに出来ました。死と直面したと言えるほどの3ヶ月間でした。(赤ちゃんが欲しい!!産みたいでも、この状況はあまりにも酷すぎて死にたいって言ったりしまうほど。。気持ちの変化に戸惑う毎日)
この出来事で入院中旦那さんとは沢山泣いたり喧嘩したり励ましてくれたり、看護婦さんの中には親身になって頑張ろうと言ってくれる人もいれば、突き放すほどに冷たい人も、弱すぎるとか、赤ちゃんが欲しくないんじゃないの??とか、甘えてる、数々の言葉自分でもそうかなと思ってしまいました。
しかし、5ヶ月半まで絶え抜いてる最中に突然赤ちゃんの心音が止まってしまい渓流流産・・・。

3日かけて子宮口を開き4日目に出産。男の子でした。

亡くなった子の出産(普通分娩)はかなりショックで立ち直れず、もう子供は無理・・・)
泣いてていた毎日、夢にまで亡くなった子の出産シ-ンうなされ、TVでも外に出ても赤ちゃんを見ると勝手に涙があふれました。何ヶ月かしたある日、旦那さんが今度はもっと支えて守るからもう1回頑張ろうと!!
何ヶ月もかけて沢山話しました。
そしてもう1度だけ・・・と思えるようになって。頑張り妊娠しました。しかも双子ちゃん。想像してたとおり、凄かった。・・・つわり。
また24時間点敵、吐く、眠れないすべてが襲ってきました。腕には数え切れないほどに無数のアザが出来、最後には点滴もさせなくなり、鎖骨を切開して動脈に直接の高カロリ-輸液。。精神的にもまた落ち込みました。何で私だけ??って。。。沢山の涙と苦しさの毎日。
そうしてる間に今度は軽いうつ病に・・・結局、市立病院では無理なので、大学病院に回されました。でも、それが良かったのかな??大学病院は産婦人科の病室が隔離されており(赤ちゃんが誘拐されないように)面会の方ですら、旦那さんですら、入って来れなかったのです。
面会と言えばデイル-ムに行って会うのみです。病室は静かで妊婦さんも私の病室は症状が重い方ばかり、お互い励まし勇気付けられました。点滴も上手だったので、もれも少なく、2~3日は持ちました。
私の考えや、思ったこと、質問にも丁寧に親身に先生や、看護婦さんが対応してくれました。体重も33キロで止まり少しずつの回復。。ようやく退院できたのは既に6ヶ月でした。
それから10ヶ月までは週に数回吐く程度にまで回復し、無事出産。。。今はいい思い出と???はまったく思いません。。
でも、無事生まれてきてくれたこの子達に感謝し二人に嫌って言われるほどの沢山の愛情を注ぎたいと夫婦で思ってます。つわりがなければ5人くらい産みたい気分です。。 つわりの時めげずに入院生活毎日きてくれた旦那さん旦那さんの家族、お姉チャンこれでもかって言うほどに一緒に涙を流しました。。今はメイいっぱいの感謝です。。
いつか私みたいに無事かわいい赤ちゃんを出産できるようこのサイトを見て今苦しんでいる沢山の妊婦さんに・・・頑張らなくていいんです十分あなたは頑張っていますよ。泣いて叫んでいいと思います。終わりの見えない苦しい毎日ですよね、凄くわかります。堕したいと言ってしまってもいいです。(本心でないことは良くわかっていますよ)
こんな酷い人も居たんだなと勇気をもってください。そして必ずかわいい赤ちゃんが抱ける日が来ることを楽しみにしてください。 絶対大丈夫!!!とても良いママになれます。いつかあなたが私みたいにこのサイトに励ましのメ-ルが送れる日を待っていますね。旦那さんは頑張っていることと思います。奥さんだけ苦しんでいるこの状況に何もしてあげられないと心を痛めていると思います。だけど、めげずに奥さんのそばにいて支えてやってください。それがどれだけ心強いことか・・・いつかかわいいお子さんに会えることを心より応援していますからねっ。

 

きんもくせいさん 04/10/16

5週目をなんとか家で耐えていたもののケトン+4で即入院となりました。6~7週の間、点滴をしているからと言って吐かなくなることもありませんでしたし胃液・胆汁・血まで吐くのにもものすごく体力のいることで私はベットの支え棒にしがみついて吐いていました。
そのうち胃が痛くなりトイレに行くことも出来ずポータブルトイレを置いてもらい起き上がるのもやっとだったのが8日を過ぎたあたりから突然吐かなくなり、2週間ほどで退院しました。が、しかしすぐに全く酷かった頃と同じところまでぶり返しその時には実家に戻っていたので距離もあり違う病院で吐きながら行きました。
訪れた私に(主人に後から聞いた話ですが)その日たまたまいた臨時の産科の先生に「こんなに酷いんじゃ妊娠も一度きりじゃないんだし今回は諦めたら?」と言われたそうです。泣きながら「こんなに苦しいなら中絶したい」と叫ぶ私にその日出会ってから初めて主人の泣きじゃくる姿を見ることとなり「がんばって欲しい」と。その時は辛さのあまり気もおかしくなっていましたので「この人は私の体のことより赤ちゃんの方が大事なんだ!!」と思いました。
二人とも待望の子供であった筈なのにそんなことしか思えなくなっていました。。
その病院でも入院した日から絶飲・絶食、ただ一度目の病院と違っていたのは吐かなくなるまでと徹底して全く食べることを許してもらえず、私は胃の中に何もないのに胃液や胆汁を吐くということにヘトヘトになっていましたので何かを口に入れてそれを吐く方がまだ楽なのではないかと思い助産婦さんにお願いしても「これでもか、というくらい食べさせる事はできない」と言われ丸々10日間は水一滴も口に入れずそうしていれば必ずよくなるんだ、と自分で自分を励ますしかありませんでした。
旦那さんがいると甘えてしまうと言う理由からしばらくの間面会謝絶となりました。その助産婦さんには「悪阻には本にはそういう治療法がいいと書いてある」とその部分をコピーしたものまで渡され、別の看護婦さんには苦しんでいるさなかに「つわりは病気じゃないからね~」「もう少し赤ちゃんを受け入れてあげないとね~」と言われ体力的にも精神的にも参ってしまっていた私は家族以外口もきかなくなっていました。
一方で別の人に「病は気からって言うじゃない?」などとも言われ皆さんがこのHPで言っているように気の持ちようでなんとかなるものだとは思えません。それでも知識のない私はそんな言葉を真に受け悩みました。自分が甘いからこういうことになっているのかと。そしてそこで1ヶ月入院した頃体重は35㌔をきる勢いで鎖骨の下からの中心静脈栄養が必要だからと大学病院への転院を勧められました。病院を変われば気分転換にでもなるのではと思い転院しました。
その間も吐きつづけていましたしまわりの方に迷惑になるとずっと個室での入院生活でした。転院先の病院で主治医が二人つき、そのうちの一人が研修医だったようなのですが中心静脈の点滴の針を入れる際、なんとうまく入れられなかっただけでなく肺に穴をあけられて呼吸するのも苦しく酸素マスクの状態になりました。太くて長い釘のような針を何度も刺した上でです。悪阻だけでもこんなに苦しんでいるのになんてことをしてくれるんだ?と本当に悔しくなりました。
それから食事もとれないまま衰弱は激しくなり16週に母体保護法により中絶しました。
とはいえ最終的に決断したのはやはり自分です。その日から2ヶ月たった今こうしてこのHPで体験談を読みもう少し早くこのHPと出会い、苦しんでいるのは自分だけではないんだと思えていたらもう少しがんばれたのではないか?と思っています。今はきちんとしたかたちで産んであげられなくてごめんねという気持ちでいっぱいです。
3ヶ月近い入院生活の中で死の恐怖も感じました。良くならない私に入れ替わり精神科医がきて精神安定剤と睡眠薬を処方されていましたがここでの投稿の中でつわりが産むまで続いたという方も結構おられたのでまだまだ恐怖心は消えないですが覚悟の上、いつかまたがんばりたいと思っています。そしてここでその勇気をもらえたことに感謝いたします。腕からの点滴だけで乗り越えられるものなのか?それだけは不安ですが。

みかさん 04/08/12

はじめまして。私は2児の母です。女の子二人ですが、二人ともかなり悪阻がひどかったです。
正直、「○○は食べれて・・・」とか「2㌔痩せた」とかいうのは、私にとっては軽いほうに思ってしまいます。
私は生理が遅れたな~と思うと同時に気持ち悪さを感じて、妊娠が分かりました。それからは地獄の毎日でした。まず、食べれるものは何一つありませんでした。せめてこれだけは!ってものがあれば、そればかり食べれるのですが…それもなく、水を飲んでもスグにトイレに直行。あっという間に10キロ痩せました。
妊娠悪阻の為、入院。毎日の点滴。これではイカン!と無理矢理に食べ物を口に押し込み、スグにトイレへ…そんな繰り返しでした。6~7ヶ月くらいから、少し楽になり、食べ物を食べてもスグにはトイレに駆け込む事も少なくなり、少しの間は胃の中に収めておくことができるようになりました。
しかし飲み物は駄目で…唯一、口がさっぱりする気がする「センブリ茶」をいつも水筒に入れて持ち歩いてました。(今ではとても飲めませんが…)結局、少しは楽になっていったものの、産むまでは悪阻は続きました。まさに地獄の日々。悪阻がヒドイ方には分かると思いますが、生きてるのに疲れる毎日。あの時期は正直なトコ、「妊娠なんてするんじゃなかった…」と後悔の毎日でした。
だから二人目妊娠の時も、どんなに恐怖だったか…。これまた、10ヶ月間の悪阻に涙しました。正直なトコ、悪阻の恐怖を思うと、もう決して妊娠はしたくないです。
実は、去年、思ってみなかった3人目を妊娠していて…悪阻も早速始まり、何も出来ない状態。せっかく授かった命なので、産みたい気持ちは勿論あったのですが、現実問題こんな状態では小さな子供2人の面倒もみれない。また、両親は私のヒドイ悪阻を実際に見てきてる為、産むことに反対でした。旦那もそうでした。私は毎日悩んで悩んで…やっぱり産もう!と決心したり、やっぱりこんな状態では10ヶ月間、耐えてはいけない…と思ったりで、毎日そんな繰り返しでした。結局、旦那とも話し合いを重ねて、今いる子供達の事。私自信の体の事。そんな現実問題をつきつけられて、中絶することを決心しました。
決心してからも、手術が終わってからも、涙がとまらずに、毎日泣いてばかりでした。自分を責めて責めての毎日で…。しばらくして、供養をすませ、「この子の分まで、今いるこの子たちを一生懸命育てよう。駄目なお母さんでゴメンね。」と、それからは泣くのはやめました。私が悪阻のヒドクない体であれば、間違いなく産めたと思います。自分の体にホントに腹が立ち、情けなく感じました。悪阻は本当に人それぞれです。重度の人にとっては、「気の持ちようよ!」とか言われると怒りが沸きます。今現在、ヒドイ悪阻で苦しんでる方。本当に辛いですよね。何も助けてあげられないけど、頑張って乗り越えて下さい。

 

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