つわりの基礎知識と体験談

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つわり体験集

妊娠悪阻体験談(入院体験) その6 

その6 その5 その4 その3 その2 その1

ぴかるん -(2013/02/15(Fri) 14:09:45)

私は、妊娠後まもなくから出産までずっと吐きつわりでした。妊娠直後から激しい嘔吐に襲われ、毎日毎日トイレに入り浸る生活・・・。水すら飲めずあっという間に脱水症状、体重も一週間ほどで一気に7キロ減り、もうダメだと思って主人に病院へ連れて行ってもらいました。尿検査の結果ケトン体が出ているから即入院と言われ、一週間ほど入院しました。点滴だけの生活の中で何も吐くものなどなく、胃液や血液が出てくる始末。おまけに、ものすごい勢いで嘔吐するためか顎が外れそうになったこともありました。

その後ケトン体が尿に出なくなり退院しましたが、相変わらず昼夜問わず嘔吐があり、家事どころか普通の生活もままならない状態になってしまったため、実家でしばらくお世話になることになりました。母は自分もつわりが酷かったらしくいろいろと気遣ってくれましたが、炊事の匂いや掃除やら洗濯やら来客の様々な音にまで敏感になってしまってイライラし、ほとんど部屋に引きこもる生活になってしまいました。しかも、母があれこれ考えてこれなら食べられるかと作ってくれるご飯も、直後にはすぐ吐いてしまうため申し訳なくて申し訳なくて、そんなことからも気持ちがどんどん滅入ってしまい、今思えば、多分鬱状態のような感じだったと思います。

検診で病院へ行く度に「あとどのくらいしたら落ち着くんでしょうか」と何度聞いたことか。でも答えはいつも同じ「そのうちに落ち着くから・・・」そのうちって一体いつなの?????先が見えない毎日に、常にイライラしていました。

結局、その後もう一度ケトン体が出て再入院、さらには切迫早産でも入院し、結局出産するまで吐き続け、私のマタニティライフは本当に苦しかった!出産は主人が立ち会ってくれて、実際に生まれた瞬間、主人は感動して泣いていましたが、私は感動よりも「やっと解放された!」という気持ちの方が大きかったです。(娘には申し訳ないですが)

でも、不思議なもので、出産直前まであんなに吐きまくっていたのに、出産直後にランチとして出されたスパゲティナポリタン(しかも結構大盛)を、一気に平らげてしまったんです!自分でもびっくりしました。最初看護師さんが部屋に運んでくれたとき、見た目で「うわっ無理っ」と思いましたが、匂いをかいだら「意外と食べられるかもしれない」と思い、口に運んでみたら多分10か月ぶりに食べ物が美味しいと感じ、息をつく間もなく食べてしまいました。

それからの私は、それまで食べられなかった10か月の穴埋めをするように食欲が出てしまい、ほとんど母乳で育てていたのにもかかわらずかなり太ってしまいました。

もうつわりはこりごり・・・と思い、あれから八年たった今も娘は一人っ子ですが、やっぱり兄弟は必要かなあ・・・と最近思い始めています。一人目と二人目ではつわりになったとしても違うという話も聞きますが、どうなんでしょう。
そう言えば、娘が二歳になった頃、お腹の中のことを覚えているのかなと思って聞いてみたことがありました。すると、驚愕の答えが返ってきました。「お母さん、怒ってた」と・・・。「暖かかった」とかそういう感じの答えを想像していた私は絶句しました。そして、10か月間つわりで常にイライラしていた自分のことを、娘は知っていたんだと思うと涙が出ました。何度も「ごめんね」と娘に謝りました。私は一人ではなかった。考えてみれば、ろくに食べられない中で娘は人並みの大きさに育って生まれてきてくれた訳で、きっと人一倍お腹のなかで一緒に頑張ってくれてたんですよね。今つわりで大変な皆さん、あなたも一人ではないですよ。ゴールは必ずきます。無理せず、自分のペースで、そして願わくば私の二の舞にならないように、平穏な気持ちで出産の日を迎えられますように、お祈りしています。

ココリ -(2012/11/30(Fri) 12:36:31)

3人目にして始めてのつわりを経験しました。

今まで2人出産してきましたがつわりを経験したことはなく、ただ漠然と「気持ちが悪くなる」くらいにしか思っていませんでした。
妊娠がわかってすぐ5週くらいからつわりの症状が出ていました。最初はハミガキでえづいたり、匂いに敏感になるくらいで、上の二人と同じ症状でした。6週に入る頃にはムカムカと吐き気。7週になる頃には毎日2~4回の嘔吐。夜になるとキツくなり。夜中に何度も起きては吐いてを繰り返していました。

毎日「どうして私ばかり」「何故今回ばかり」と泣いてばかりで、幸いにして上の二人は小学生だったのでお世話は楽でしたが、それでも自分の不甲斐なさに悔しいやら情けないやらで…。今思っても正常な精神状態ではありませんでした。

そんな状態を3週間続けていた10週頃。何も受け付けず、水すら飲めなくなり病院にいくとケトン+3で即入院。
1週間ほど24時間点滴をし、ビーフリード・ビタミン剤・プリンペラン(吐き気止め)を打ちっぱなしの入院でした。

退院後もよくはならず、かかりつけの婦人科で毎日点滴を打ち、効くといわれる針灸にも通い。食べられるものだけを食べ、飲めるだけのものを飲み、家事も何も適当に、とにかくこの地獄を乗り切り、気を紛らわす方法だけを考えて生きてきました。

1週間に1度の点滴で住むようになったのは妊娠5ヶ月くらいでした。
それでも1週に1度は吐いて、胃腸は弱り果てて、今度はつわりとは違う症状に悩まされるようになりました。真夏の時期につわりだったこともあいまって秋には体力低下で倒れるなど。
本当にトラブル続きで大変でした。

結局-6kg。妊娠継続中に+4kgで妊娠前と殆ど体重は変わりませんでした。

8ヶ月になり、ようやく… 日常生活に支障のない程度まで回復しました。

ここまでくるのに本当に辛かったです。
もう二度とつわりは経験したくないと心の底から思います。

あいち -(2012/11/29(Thu) 11:59:30)

妊娠4か月の初マタです。
つわりが始まったのは5wくらいです
初めは眠くて眠くて…常に睡魔が襲ってきてましたが、『吐きづわりよりいいか 』と安心していたら、徐々に胃のむかつきや気持ち悪さが出てきてゼリーや酢の物などのサッパリしたものじゃないと食べれなくなりました。
でも仕事は行けてたし、家事もやったり、吐き気も嘔吐も無かったので『あたしってつわり軽い方なのかな♪』と安心していました。

ところがちょうど8wに入った頃。
夜、今までに経験したことのないくらいの吐き気に襲われ、ついに嘔吐。
吐いたあと気持ち悪さが取れすっきりしたのも束の間、5分後にはさっきよりも強い吐き気で再び嘔吐しました。
その夜、朝まで10~30分おきに嘔吐し、水分も受け付けず遂には胆汁まで吐いてました。
それでも嘔吐は治まらず、病院へ行きました。ケトン+4で点滴打ってその日は帰宅しました。
しかしその日の夜、同じようにひたすら吐いて翌日再び病院へ。
また点滴しましたが、帰宅直後に猛烈な吐き気に襲われ、立てなくなり、吐きすぎて声も出ず仕事終わった旦那に病院に連れてってもらいそのまま入院。
ケトン+4で、3日絶食で24時間点滴しましたが吐き気が治まることはなく、吐き気止めの注射も5分程で効き目が切れ、1日10回以上吐いてました。

ずっと赤ちゃんが欲しくて望んで出来た子なのに、妊娠したことさえ後悔してしまうくらい辛かった。

周りからは『初めての妊娠で気にし過ぎだからつわりも酷くなるんじゃないの?』とか『気持ちを強く持って頑張らないと!』とか色々言われましたが!

気持ちを強く持ってどうにかなるようなものじゃない!
頑張っても吐き気が無くなることはないし。

1週間で退院してからは、吐き気は徐々に治まり、今は少しずつ食べれるようになりました。

未だにたまに吐いてますが、つわりのピークは過ぎたかなと思います。
あのとき文句を言わず、毎日お見舞い来てくれた旦那に感謝してます。

長文失礼しました。残りのマタニティライフ、楽しく過ごせますように。

かりーさん 13/12/17(火) 18:55

不妊治療から二卵性双子を妊娠しました。念願の妊娠でしたので、つわりなんて耐えられる!と甘く考えていました。4週過ぎた辺りからムカムカが始まり6週には嘔吐するようになりましたが、つわりとはこういうものだとまだ耐えられていました。
そして11週では、1日中嘔吐を繰り返すようになり、12週では1日を通してミニトマト1つだけしか食べられなくなり水分もろくに取れていないのに嘔吐し続け、胃液、胆汁、終いには少量ですが吐血。体重も妊娠前から-6kg…今日明日にでも-7kgに突入しそうでした。
さすがにこうなるとひどいと思われるかもしれませんが赤ちゃんのことより自分の生命の危機を感じ、タクシーで救急に向かい点滴をしてもらいました。かなり脱水が強く出ている、家で結構我慢してたんだね…と言われてそのまま入院となりました。
入院してからはみるみるうちに回復し、1週間で退院することが出来ました。今回感じたことは、我慢にも限度があり本当に辛い時は迷わず病院に行くべきだということ。妊娠経験のない知人(40歳代)につわりは病気じゃないからね、と言われたことがありましたが病気の方と比べるものではないのは妊婦のこの私が1番分かっていることで、何もそんなことを言わなくてもいいのでは??とその方にがっかりしました。
当初の自分含めまだまだ重症妊婦悪阻について理解されていない部分が多過ぎると思います。つわりなんてこの程度…ではないのです!命に関わる方だっているのですから、病気ではないかもしれないけれどもはや病気同様です。看護師さんも我慢しなくていいんだから、とおっしゃっていました!
私の場合は飛行機でないと実家に行けない場所に移住しているため、親や親戚…頼れる身近な人がいないなかでの重症妊婦悪阻で精神的にも限界でした。本当に辛い時は絶対に我慢しないで下さい!

サリーさん 11/09/17(土) 16:37

現在38週の妊婦です。このサイトで随分と励まされたので、恩返しのつもりで、少し長くなりますが私の体験談をお話しします。 私のつわりの期間は、妊娠8週から16週位でした。ある日を境にあれれ?なんとなく楽だな(いやそんなはずはない(当時はかなり悲観的だったので)というような感じで終わりました。
一番つらかったのは、東北の震災の頃で、今でもあの繰り返し流されていた「こんちちはー、ありがとう…」のCMを思い出すと、当時のつらさが蘇ってしまう程です。私の場合、最初は多少食べられたものの、一時は水さえも受けつけられなくなり、1週間程入院しました。
この2カ月間は廃人に近く、唯一の慰めはこのようなサイトを見て、私だけじゃないんだと勇気づけられることでした。周りの心ない言葉に本当に腹が立ったこともありましたし、お腹の子を疎ましく感じたこともありました。ですから、今つわりで苦しんでいる妊婦さんの気持ちは十分理解できるつもりです。ただ、今だからこそ言えるのですが、私にとってつわりは、人生を変える程の教訓を与えてくれました。それはこのサイトかどこか他のサイトで目にしたのですが、ある方が「病気やガンで苦しんでいる方から見れば未来があるだけいいじゃないの」と言われハッとしたとのことで、私はそれまで病気らしい病気はしたことがなく、病で苦しんでいる方と比べること自体、おこがましいかもしれませんが、いたって健康だった私に、病気の方のつらさを少しは共感できる力を与えてくれました。
また、看護師さんをはじめ、励ましてくれた方々に本当に感謝の気持ちが湧き、「自分は色々な人の支えがあってこそ生きていられるんだ。だから自分も何か人や社会の役に立ちたい!」と思うようになりました。そういう意味で、私の性格的な角を丸くしてくれたように思います。また、ただただ時間が過ぎるのを待つだけという無為な生活に焦燥感を感じていましたので、つわりが終わってからは、本当に時間を大切にするようになりました。なので、今つわりで戦っているみなさんにも、後になってみれば、必ず得るものがあるよと伝えたいのです!
とにかく今は周囲になんと言われようと、家事など出来なくても、自己中でも何でもいいから、なんとかやり過ごして下さい。必ず終わりが来ますから。近い将来、つわりの原因、治療法が確立され、つわりに苦しむ妊婦さんがいなくなることを切に願っています。

sayaさん 11/02/06(日) 17:30

現在妊娠14週目です。
私は不妊治療で赤ちゃんを授かりました。治療はとても辛く、精神的にもかなりきました。姉には結婚後すぐに妊娠が分かり出産。そんな姉が羨ましく、いいね。すぐにできて。私はこんなに苦しい思いしてもできないのに。とケンカになり言われた一言が、妊娠もしたことないくせに言わんで。つわり辛いし陣痛だって辛いんだから。でした。とてもショックでした。妊娠できるからそれを味わえるんだ。って思いました。不妊治療に比べたら絶対苦しくないと思っていました。
そしてやっと体外受精が成功し赤ちゃんができました。とてもうれしくて毎日体にいい物を食べ健康にきをつけてました。
つわりが始まったのは6週目から。最初は朝夜はく程度でした。それが1カ月ほど続きました。11週ごろから酷くなり1日中吐いていました。そして12週に限界がきて胃が激痛で息ができないくらいになりました。産婦人科に行きましたがとくになんの対処もせず、つわりだから点滴ね。と点滴されましたが全くよくならず点滴中も痛いってうずくまってるのにほったらかし。下痢と嘔吐を繰り返し過呼吸になってるになにもしてくれなかったです。点滴が終わってもよくならず家に帰りました。痛くて痛くてでも気のせいだと思おうとしました。でも無理でした。過呼吸で足腕顔が痺れてきて痛くて耐えれず夜にまた産婦人科に行きました。
そして長期入院することに。うちは無理だから大きい病院紹介しますと言われ産婦人科から40分もかかる遠い病院を紹介されました。
母の運転で向かいました。倒れそうな痛みに耐えながらやっと病院に到着。すぐに点滴、そして痛みどめを打ってもらい楽になりました。
点滴24時間打つ生活が始まりました。痛みがでるとまた痛みどめを打ってもらいました。あんまり打つと癖になるし赤ちゃんに影響があったら責任取れないからと2日で中止に。それからはまた痛みに耐えました。
血管がなく看護師に点滴が全然させないと嫌がられ、つわりは気の持ちようといわれ気分転換したら?など言われました。そんなことわかってる。そうしたいけどそんな余裕ない。って思ってました。入院6日で点滴がなくなりました。血管もないし刺すのがいやだから?と思いました。水分もそんなに取れないし食べれないのに。
9日入院して朝また胃が痛くて看護師に言いました。うーん。ちょっと様子見ようね。先生にも言いました。もうすこし酷くなったらまた教えて。でした。もう嫌だ。入院しててもなにも治療もしてくれないし意味がないと思いました。その日のうちに退院しました。先生はまたいつでも何かあったらすぐ入院できるようにしてあるからと言いました。
家に帰ると臭いがダメで吐き続けました。やばいと思い次の日に病院に相談しましたが入院どころかとりあえず水分をいっぱい取って安静にしててください。だけでした。水分も吐いてるのに。。もう苦しくて涙が出ました。そんな生活が4日たち産婦人科の検診日でした。赤ちゃんは順調。先生はいつもの人と違いとても対応がよく心配してくれました。なんで退院したのと怒られまた入院したほうがいいと言われました。
無理なら毎日通院で点滴と言われそうすることにしました。血管がないから点滴が入らないと言っても腕じゃなくても大丈夫だからっと言ってくれました。やっといい先生に会えた!!と思いました。
点滴をしたらとっても楽になりました!!こんなに気分がいいのも久しぶりです。パソコンを開いたらたまたまこのサイトを見つけ、涙が出ました。つわりで苦しんでる人がこんなに居たんだと知り私だけじゃないとわかりうれしくて。勇気が出ました。みなさん本当にありがとうございました。まだつわりがおさまったわけじゃないけど頑張れます!!

ルナさん 11/07/01(金) 18:23

私は今妊娠9ヶ月です。 私の場合は8ヶ月に入って突然痰づわり、鼻詰まりになりました。後期になってこんな事になるなんて思ってもいなかったし、最初はこんなつわりがある事を知らなかったので、本当に悩み泣いて泣いて皆を困らせました。今も相変わらず痰が絡まっております。食事をするとなぜか痰が増えて息苦しくなります。で、食べる事が恐くなりいっさい飲食が出来なくなりました。
みるみる痩せて入院しなくてはいけなくなり入院期間は10日間程でしたが24時間点滴も大変でベットとトイレの往復を夜中も続ける毎日でした。今は退院してきましたが相変わらず痰が絡んだままだし、痰が絡まるから飲食するのが恐いとは病院では理解してもらえない為体の栄養素が足りたら退院ってなるけど、根本的な原因が解決した訳じゃないのでまた飲食出来ずに入院になってしまうのは目に見えてます。
頑張って食べるしかないのですがツライ。お腹に大切な命がやどっているのに死にたいとまで思う事があります。最低です。本当に終わりがくるのかと不安な毎日です。

ひなママさん 10/12/28(火) 13:18

現在妊娠7週で、そろそろつわりが本格的になってきました。 わたしは一人目妊娠時に重症悪阻にて入院しました。 主人の実家に用事があってきているころで(新幹線で4時間程度)、その場で出血があり、切迫流産と診断されたと同時に、つわりがひどくなりました。
7週から入院しましたが、毎日10回以上嘔吐。もちろん、ご飯は一切食べられず絶食。点滴を4本毎日入れていました。 同じ部屋の人が同じ部屋にある洗面所で髪を洗い、ドライヤーでかわかすときのシャンプーのにおいが毎日苦痛で、個室にかえてほしいと何度もお願いしましたが、「たくさん人がいた部屋のほうが気がまぎれるから」と言われ、個室にかえてもらえませんでした。 面会時間のきまりを全く守らず、朝8時になるとやってくる同室の患者の見舞客。
しまいに子供で非常にうるさく、それでもさらにイライラがつのり、気付くと9週目あたりでは、10分おきに嘔吐、緑色の胆汁、胃液をはき、やがて吐血もはじまりました。 入院している病院は綜合病院で非常に大きな病院でしたが、看護士の方たちが一人一人言っていることが違って、「吐いたらいけない」とかも言われました。そんな中、ますます不信感がつのりました。
寝ている間は水分が少ないせいか、口の中で舌がくっつき・・・。水を飲んでもはいてしまうので、氷をもらってなめていました。 そして入院してから3週間で体重は15キロ落ちました。歩く体力もなく、いつもトイレまでふらふらいき、トイレで吐いて、そのまま倒れると言った感じです。
注射のはりも、血管がみえないという理由で毎日何度も失敗され、入院先の看護士さんにもさらに嫌気がさしました。そして、わたしを目の前に、「この人、注射入らないからわたしやだ。○○さん代わって。」と私の前で違う看護士に注射を代わるよう言う看護士。ひどかったです。 そんな対応もあり、入院しているのに、症状はよくなるどころか、どんどん悪化し、まともに会話すらできなくなりました。物もかすんでみえて、常に空中に蚊のような小さな虫が飛んでいるようにも見えました。主治医には赤ちゃんはあきらめないといけないかもしれないとも言われました。 もうとにかく病院にいたくないと泣いて話したら、転地療養を勧められ、実家の父親母親がすぐに迎えに来てくれました。
車いすで新幹線をのりつぎ、すぐ地元のかかりつけの病院でみてもらいました。尿中のケトンは4+。最大だといわれました。次の日から入院といわれ、とりあえず家に帰ると、一切吐かなくなりました。次の日も吐かず、食べたいものも少しですが、食べられるようになりました。1か月ぶりの食事で舌。これには病院の先生もびっくりでした。1日でケトン2+、次の日にはケトンがでなくなりました。 環境を変えるというのが私にとってはとてもよかったように思います。そしてやっぱり精神的なものも関係しているんだろうなと思いました。 毎日悪阻と戦っていらっしゃる方は、気分転換で思い切って自分の実家に戻るとか、どこかの旅館にとまるなどの行動もいいかもしれませんよ。

るみママさん 10/09/04(土) 18:12

私は3児の母です。長女を妊娠した時妊娠悪阻で入院しました。生理が遅れて、もしやと思い検査したら妊娠していました。それからすぐ吐き気に悩まされ、結婚前で一人暮らしで、何を食べても飲んでも吐いて、ほとんど栄養が摂れていませんでした。トイレに行くしかできない位体力がなくなってました。その時には、体重が10キロ落ちていました。お風呂に入るのも一人ではとても無理で息切れと吐き気で、本当に辛かったです。気分転換にと、主人が花火に連れていってくれましたが、そんなの今更不可能でした(笑)体力が無くなって倒れる寸前で結局おんぶされて帰りました。一ヶ月位耐えたけど、ギブアップして翌日病院に行きそのまま入院しました。
その日は歩けず売店に車椅子で必要な小物を買いに行って、3日後くらいには吐き気がだんだんおさまりご飯が半分は食べれるようになりました。すごく楽になり5日後くらいには売店に歩いて行けました。10日で退院しました。 二人目を妊娠した時、また同じようなひどいつわりで、8キロ落ちました。我慢していたけど、1歳になったばかりの長女を連れて実家に帰りました。転勤族で近くに助けてもらえる人がいなかったので・・・。母が寝込んでいる私にお粥を毎日作ってくれました。吐いてしまうけど食べて、母のおかげで二人目は点滴に数回行くだけで耐えました。
三人目も同じく10キロ落ちました。でも上の子もいたし、入院できないから、うちで耐えました。主人は子供の世話をしてくれないので、わたしの妹に子供を預けて点滴に何回か行きました。 もう三人もいるし、もう絶対に妊娠したくないですね(笑)

りりさん 10/08/30(月) 16:54

現在10週目のりりです。
妊娠悪阻で20日入院して、昨日やっと退院できました。
6週目くらいからひどい吐きづわりが始まりました。このころは、食べたら吐くだったのですが、7週目から、飲み物でも吐く→飲まなくても吐くという状態になり、立っているのがやっとの状態になったので点滴をしてもらおうと病院に行ったところケトン体3+で即入院となりました。(体重43キロ→40キロ)
最初の一週間は一日4本の点滴のみで何も口に入れることができなかったにもかかわらず、一日5~6回吐く日々でした。(体重37.5キロ)
2週間目から1日4本の点滴プラス食事を出してもらうことにしたのですが、退院までのあいだ果物しか食べることができませんでした。結局、点滴を刺す血管がなくなってしまい(漏れたり腫れたり)、少しでも食べられるようになったからということで退院しました。(退院時39キロ)
入院中は毎日朝6時前から夜11時くらいまですっと点滴につながれていたので、ちょっと精神的に参ってしまいました。けど、今は食べたら吐く状態にまで回復したので、だいぶ楽になりました。
まだまだ10週目で安心できない時期ですが、元気な赤ちゃんを産むまで気力で頑張っていきたいと思います。後2~3カ月でつわりがらくになることを信じて・・。

はるママさん 10/08/08(日) 16:37

今、3歳の息子と妊娠11週のママです。

今、つわり真っ最中です。ストレス発散と、同じくつわりと戦っているお母さんに少しでも役に立てば…とおもい、投稿します。

1人目の時も妊娠発覚と同時にひどいつわりで、重症妊娠悪阻で1週間入院しました。その時は6週目くらいに発覚したので、そこからだいたい14週くらいまでずーっと洗面器を持って、立っては吐き、座っては吐き、自分では入浴できず、実家で母に体や頭を洗ってもらうほどでした。臭いにも敏感で、家の臭い(金魚を飼っていて、とにかく家が金魚くさかった)、シャンプーの臭い、トイレの臭い、自分の臭い…とにかく家には居れず、入院となりました。が、この時入院した病院では先生がまずは「つわりは入院する理由にならないからね。入院もただじゃないんだし、いつ帰るのか決めとかないと」等、毎日の回診で言われ、看護師さんや助産師さんにもなかなか理解されにくい状況でした。自分は入院してはいけないんだと思い、とりあえず退院。その後も吐き続けるのは変わりませんでした。
12週目に腹部の激痛で切迫流産と言われ、2週間の入院。その時もつわりはあり、前回と同様の病院に入院しましたが、切迫だということもあってか、先生、他のスタッフからのアウェ感はあまりなく、おなかの方が痛かったのもあってちょうど退院の頃(14週)につわりも治まりました。
その後もずっと切迫で出産まで仕事は休むことになりました。職場でも年配の上司には「私も働きながら3人も生んだのよ。やってできないこともないし、つわりは病気じゃないんだから、考えすぎ」とも言われました。同じ女性なのに…と悲しくなりました。だって辛いものは辛いんだから!
つわりが重い人は出産は軽め。という根拠のない話を信じていたものの出産もなかなか進まず、6時間も助産師さんからいきみ続けてと言われ、よぼよぼの妊娠・出産でした。「もう生みたくない。しばらくいらないよ」が口癖でした。

あれから3年。そろそろ2人目と考え始めた矢先の妊娠。もうちょっと後でもよかったと思いますが…ひとまず授かったことに感謝。が、やっぱりあのつわりの苦い思いは消えていませんでした。おなかの中の子によるっていうけど、やっぱり2人目もつわりはひどいです。
1人目の時も受診して1回目では予定日が決まらなかったのもあって、今回は自宅で検査薬を使用してから1週間後くらいに受診すると決めました。そして病院も1人目の時のことがあって変えようと思っていました。
が、6週目に吐いて吐いて動けなくなり病院へ。ケトンは+3で即入院でした。近くの1人目の時に行っていた病院に仕方なく入院。しかし、3年で色々つわりに対しても考えが変わったのか、先生やスタッフが変わっていたこともあってか、すごく親切でした。先生は「もう焦らず、つわりだから家事や育児からも解放されてゆっくりしていってね」と言ってくれ、スタッフの方々も「辛かったでしょ~?よく我慢してたね」とか、食事も今回は色んな希望を聞いてくれ、パンやおにぎりや麺類、ゼリーやヨーグルトなんかも出してくれました。3年でこんなに変わるんだなぁと思いました。
治療自体は点滴2000mlから始まり、ビタメジン、プリンペラン、ガスドックが混ざって入ってました。これは1人目の時から変わらないようです。今回は上の子供が体調悪かったこともあって、2回に分けて16日入院しましたが、2人目ってこともあって流れが頭に入ってるせいか1人目の時よりは症状はやや軽いのかと思います。1人目は7キロ、今は5キロの体重減です。今回は食べられるものも前回よりは多く、吐くけどまだ食べれるときに食べられる状態です。仕事もこんなのでは使い物にならないのでお休みをいただいてますが、直属の上司が男性に代わったこともあって、逆に体の方が大事だからと気を遣ってくれています。旦那もよく家事や育児をしてくれて助かっています。義理の家族も今回は1人目の時より、すごく体を気遣ってくれているように感じます。(1人目の時もそうだったのかもしれませんが)
なんだか周りの環境も1人目の時より、今回の方がいいような感じを勝手に受けています。初産だと経験がなくて全てが不安だったのかもしれません。

今もまだ11週なのでまだしばらくつわりと戦うであろうと見込んでます。しかもこの暑い時期はつわりを助長させるばかりです。早く終わらないかなぁ~が今の口癖です。3人目は今のところ考えていませんが、(旦那は考えているかもしれないけど)つわりは必ず終わります。もう辛い、やめたい、死にたいまで考えている方がたくさんいると思いますが、苦労した分の子供のかわいさは言葉や文には表せないほどです。

ここからは、うちの上の子が話したことなんですが…少しでも辛い時期を乗り切れる力になればと思います。
よく子供におなかの中の話を聞くと話してくれると言いますが、我が家も絶対に子供に聞いてみると決めていたんです。で、子供は3~4歳くらいまでしか覚えていなく、しかもお母さんと2人きりの時に1度しか言わないらしいんです。実際にそうです。息子は話し始めるのも早かったので、きちんと会話が成り立つようになったら聞こうと思って3歳前に聞きました。初めは、旦那がふざけておなかの中の話教えて?と息子に言ったんですが、息子は全く違う話をしたり、はぐらかしたり、全然話しませんでした。
日を改めて、夜寝る前に息子と2人きりの時に聞いてみました。「お母さんのおなかの中に居た時のこと覚えてる?」と。息子はすぐに「うん!あのね~おなかの中はね~」とぺらぺらと話始めました。
「おなかの中では、お父さんの声もお母さんの声もおばあちゃんの声も聞こえていたんだよ。お父さんが「おーい!おーい!」ってうるさくって、○○はこうやって(両手で耳をふさいで)、こうやって(そのまま首を横に振る)たんだよ。お母さんがおなか痛いくなると、○○は苦しかったんだ~。出てくるときは、上からぎゅぎゅって押されて苦しかったんだよ」
確かに、両親学級でおなかの中に話しかけるといいって話を聞いてから、旦那はよくおなかに「おーい!おーい!」などと言っていました。妊娠中はほとんどおなかが張っていて張り止めを服用しながら過ごしていたので、よく私もおなかは痛かったし、産む時も最終的に出てこないからと先生が馬乗りになって私のおなかを押して出産しました。どれもあたっている。すごーいと思いました。さらに息子はおなかに入る前の話も聞いてませんが、してくれました。
「あのね~○○はオレンジ色の汽車に乗って、お空の上からお母さんを見つけてね~「あ、このお母さんにきーめた!」って思って、お母さんのところで汽車から降りて、ぴゅーっておなかに入ったの~。汽車から降りるのは順番があって、○○の順番が来て、お母さんにきーめた!ってしたの~」
と嬉しそうに話してくれたんです。なんだかもう嬉しい気持ちと、信じられない気持ちと、とりあえず言葉にできない気持ちで息子を抱っこしていました。よく子供は親を選んで生まれてくるっていうけど、本当なんだと素直に思えました。そんなこと本当かな~?なんてきっと子供が生まれるまで半信半疑だったけど、自分の子供がそういっているが素直にそうなんだ~と納得できて、頑張って生まれてきてくれてよかった。自分もよく頑張ったと、この話を聞いて初めて実感できました。それまでは育児にも追われて、妊娠も出産も大変でやっとこ生まれたわ、よかったよかった。くらいの安堵感しかなかったのに、息子への感謝の気持ちと、妊娠、出産は奇跡に近いな~と神秘的なものに感じました。

今回もつわりがひどいですが、不思議と妊娠をやめたいって気持ちはわきません。こうやって投稿できている分、今回のつわりは軽いのかもしれませんが、授かったこと自体がまずは奇跡なんだ~と実感してます。こんなにつわりが辛いんだから、赤ちゃんは元気な証拠とも言います。実際うちの息子は体も、精神面も(ちょっとヘタレな部分もありますが)意外と強いように思います。今は一生懸命、お兄ちゃんになってもらうべく、赤ちゃんを守ってあげてね~と洗脳中です。笑)
つわりが辛く、泣けてくる時もたくさんあるけど、頑張ってまたこんなすてきな話が2人目の子供からも聞けるように乗り越えます。プレママさんたちも、暑い季節つわりがさらに辛く感じますが、もうちょっとです!無理や自分を責めずに、赤ちゃんがくれたお休みの時期と思ってゆっくりしましょう。

 

まるさん 09/04/24(金) 23:39

皆さんの気持、すごく良くわかります!私は現在、二人目 妊娠6ヶ月ですが、二人とも妊娠悪阻で入院しました。辛くても時が過ぎるのを待つしかないのを分かっているから、泣きたくても涙も出なかった。3ヶ月間24時間吐きまくり、生き続ける事が苦痛になってしまいました。でも、上の子の為にも生きたい、お腹の子を道連れにしたくなくてどうしていいかわからず、夜眠れなくなってしまいました。ついに、精神科へ相談に。精神安定剤と睡眠薬を頂きました。まさか自分がこんな風になるなんて、自分で情けないです。つわりが治まった現在は、上の子のお世話ができることが本当に嬉しい。でも二人目が生まれたら、またさみしい思いをさせてしまうのか、二人のお世話ができるのか、考えてもしょうがないのに不安で寝られません。お腹が大きくなるにつれて、腰が痛いのと胃の圧迫感でまた寝付けず。昼間、子供の世話があるし眠りたいのに眠れない。薬も、影響はほとんど無いと先生は言っているけど、お腹の子供にもしものことがあったら、後悔でどうにかなってしまうのではと、自分が信じられないので、薬は極力飲まないようにしています。こんなに弱い人間だったのかと絶望感と焦りとが襲ってきます。話がだいぶそれてしまいました。すみません。生まれてしまえばこんな気持、消えてくれるのかなと願わずにいられません。そして、つわりに効く薬でも何でも開発されるといいなと思います。辛すぎます

みゅみゅさん 09/04/06(月) 00:16

6歳の息子が居り、只今妊娠5ヶ月です。
不妊で悩むこと2年の後に授かった2人目だったのですが、つわりが上の息子の時とは全く違い、今考えれば軽いつわりと言えます。
今回は、本当に辛かった…。

6週目位から気分の悪い日が続き、日に日に悪化してだんだんと吐く回数が増え、ちょうど9週目に入った頃から食べたものは全て吐くようになり、何かを口にした数だけ吐いていました。
それでも、つわりで受診するなんて甘いのでは・・・と思い1週間我慢。しかし苦しくなる一方で、周りの薦めもあり受診。
結局その時はケトンも出てなく、吐き気止めの注射と内服薬をもらい帰宅したのですが、帰宅した瞬間からまた吐く始末で、症状はどんどん悪化。その後3日間で、薬を飲んでも飲んだ分の苦いモノを吐き、毎回吐いたものに血が混ざるようになり再受診し、ケトンが出ていて入院となりました。
丸1日絶食して24時間吐き気止めの点滴、吐き気止めはプリンペランと他にも数種類入っていたようです。徐々にバナナやおかゆから食め始め、吐きながらも少し食べれる様になり退院。しかしこれでは私のつわりは終わりませんでした。

むしろこの入院が悲劇の始まりでした。今思えばこの頃から入院中も病院に居るのに全く安心感がなく、信頼できる看護師さんも1,2名しかいませんでした。
退院後も食べては吐くの繰り返しで、3日後には何も食べていなくても数十分おきに胆汁まで吐くようになり、つばが垂れ流し状態、喉も荒れて痰が絡み、水も飲めず、深夜再入院となりました。
吐くたびに吐き気止めの筋肉注射をされ、眠くなるのでなんとか少し眠れるという状態だったのですが、再入院して4日目の深夜、何をしても吐いてしまい全く眠れず、吐き気止めの座薬まで入れたのですがダメでした。この時の看護師が、本当に嫌な人で、悪阻で苦しんでいる私の病室に食べ物の匂いをプンプンさせてやってきてへらへら笑っていたり、やっとうとうとできてふと目覚めると、点滴が空で血が逆流しまくっていたり、もうこんな人に任せていられない、病院に居てもこんなに苦しいなら意味がない、と翌日強引に退院を希望しました。精神的に限界でした。
お医者さんには「肝機能が悪くなっているからどちらにしても薬はもう入れられない」と言われたので、じゃあどの道病院にいても吐き気止めはないんですよね、と言うと、「恩知らずね」と嫌味を言われました。

もう絶望的な気持ちで自宅に帰りましたが、もう病院には頼れないと思い、数十分おきに吐く胆汁、常に止まらない唾、とにかく匂い、全てを、お腹に「お母さん頑張ってるよ」と話しかけることで耐え続けました。3日3晩眠れず、ひたすらタオルを噛んで朝を待ちました。
しかし上の息子をみてくれていた実母が様子を見に来たとき、あまりの衰弱ぶりに驚き転院を勧めてくれたので一緒に受診しました。
脱水症状で皮膚もガサガサ、真っ直ぐ歩くこともままならない状態で、ケトン+4、即入院でした。でもその病院の対応はすごく安心でき、この病院で出産したいと思えました。

・・・が、翌日突然、「肝機能の数値が異常です。すぐ家族を呼んで総合病院に転院して下さい」と通告されました。
頭が真っ白、ようやく安心して任せられると思ったのに、このまま自分と赤ちゃんはどうなってしまうのか、不安で涙が止まりませんでした。
翌日大学病院に転院、そのまま入院になりましたが、このままの数値では妊娠継続は難しいと言われ更に混乱、内科と平行して診てもらうことになったのですが、ベッドでは泣いてばかりでした。

様々な検査の結果、なんと原因は最初に入院した病院での薬の影響だということが判明。その病院にかかった事を本当に後悔しました。
今は影響の少ない薬と方法で肝機能もなんとか正常に戻りつつあり、つわりも入院中に(5ヶ月に入った頃)なんとか落ち着き、今は食事も普通に取れています。

かなり長文になってしまいましたが、こんなに辛いつわりがあるのかと、本当に妊娠を後悔してしまった瞬間もありました。。でも出産の喜びもわかっているし、お腹に授かった時から母親ですもの、守りたい一身で乗り越えました。八つ当たりに耐えて一緒に苦しみ涙を流してくれた夫と、忙しい家事や仕事の中で息子をみてくれた母には感謝してもしきれません。
私よりももっともっと辛い状態の方もいると思いますが、必ず終わる日は来ます。出産の喜びもひとしおだと思います。きっとあと少しです。八当たってもいいんです、泣いて叫んでもいいと思います。頑張ってください。周りへの感謝だけは忘れないで下さいね。
それと、病院選びは慎重にして下さい!!

まなさん 09/02/06(金) 12:00

妊娠中、こちらのサイトで励まされました。と言ってもパソコンに向かうことはできませんでしたので主人がプリントアウトして枕元に置いてくれていたのを文字を目で追える日のみ少しずつ目を通しました。今3歳と0歳、二人の子供たちを抱きしめるとあの時を乗り切って本当によかった、幸せだなぁと感じています。
  一人目は5週から吐き続け、家ではいつくばって耐えていましたが・・吐き気が24時間襲ってきて食べられず、緑や黄色、ワイン色、茶色、血、いろいろな色の物を吐き続け入院しました。10キロ痩せて歩けなくなり排泄も一人で出来なくなり、眠ることはもちろんろれつがまわらなくなりしゃべれなくなり・・死ぬのかな・・・と感じたりこんなに苦しいのなら自殺したら楽になるかな・・・と朦朧とした中ぼんやり考えていました。大変なことを考えていましたが、もうそのくらい追いつめられていたのです。
私の母が「○○(私)がいなくなる方が嫌だから赤ちゃんをあきらめよう」と泣きながら言いましたが結婚9年でようやく授かった命。自分だけ助かって・・・絶対それだけは嫌でした。  
かかかりつけの小さい病院では対応出来なくなり中心静脈に直接栄養を入れるとのことで救急車で国立の母子医療センターに転送になりました。夫もかけつけ、母がずっと手を握っていてくれました。家族や病院のスタッフの方、精神科も含め3人体勢でかかわっていただいたドクターのおかげで、転院後点滴のみで口から水も何も摂らずに一週間してウィダーインゼリーが一口飲めました。それからファンタグレープが飲めるようになり・・・少しずつ口にできる物が増えました。  
入院は26週まで。その後は退院し、家でずっと横になって吐くのと唾液が出続けるのとおつき合いしながら過ごしました。出産直前は横になりながらも散歩ができるくらいに回復しました。自分の体重は妊娠前よりも軽かったですが、お腹の子供は、なんとなく痛いかな・・・という陣痛開始から三時間であっさり生まれてきてくれました。悪阻に比べたらなんてことないものでした。  出産後のご飯、本当に本当に涙が出るくらいおいしかった!!たくさんの方に感謝の気持ちでいっぱいでした。 二人目からは悪阻の恐怖がありましたが、やっぱりかわいい我が子に兄弟をと二人目は悪阻が軽いかもと腹をくくり、不妊治療の相談に病院に通い始めました。 ほどなくしていとも簡単に二人目を妊娠。でもやっぱり悪阻がきつかったです。はやくも4週後半から悪阻と闘って一ヶ月した頃残念ながら流産になりました。しばらく泣いて泣いて過ごしましたが上の子に救われました。この子や家族の為にも泣いてばかりではいられないなと気持ちを切り替えた矢先、また妊娠しました。  またもや水も吐きまくり入院。今度は13週で退院。家では上の子とまともに遊んであげられず横になってばかりで34週まで唾液がひっきりなしに溢れ出続け息をするのも苦しかったですが一人目よりもましにすみました。  
今、二人の子供たちに囲まれて、兄弟で仲良くしている姿を見て、本当に幸せだと感じます。  悪阻中は生きているだけで、自分の事で精一杯。1日を吐き気と闘ってどうにか耐えている感じです。気持ちの持ちようだなんてそれは気持ちの持ちようで楽になれる程度のつわりの方です。重症の方、今は生きているのがやっとだと思いますが必ず終わりが来ます。かわいい我が子に会える日が来ます。子供にお母さんは命がけであなたたちを産んだんだよって胸張って言える日が来ます。  頑張れとはいいません。もう十分頑張っておられると思います。どうか乗り切ってください。来年の今ごろは思い出になっていると思いますから・・・。

しのんさん 08/12/15(月) 00:57

現在二歳になる子供の母です。 私もこちらのサイトを見て励まされ、つらい悪阻を乗り越えました。 私の悪阻の始まりは、まだ妊娠の判断もつかない4周目からでした。 最初はムカムカして軽く吐き気を覚える程度だったのが、日を追うごとに激しい吐き気と、胃を殴られる様な激痛が走るようになり、胃の痛みで背中まで痛み始め、夜も熟睡する事が出来なくなってしまいました。 食べ物はおろか、水も飲めない状態になり、6週目で一度目の入院となりました。 一週間の入院で退院したのですが、少し悪阻が楽になったかなと思ったのも束の間で、また悪阻がひどくなり、13週目で体重が-8キロ減、まともに歩けなくなり、血尿まで出てしまい2度目の入院。 この時、同室で切迫流産で入院の妊婦さんがいたのですが、ご自分のお母様とのお話の中で「あっちのベッドの人(私の事)、悪阻で入院したらしいよ。そんなので入院って信じられない。」とカーテン越しにヒソヒソと聞こえて来ました。嗚咽が漏れないように一人、点滴に繋がれたベッドで泣きました。その妊婦さんもご自身の事が大変で、たまたまその時何かに八つ当たりしたかったのかな?と今は思えるのですが、その時は会話の内容がショックで、「自分は世間から見たら甘えてるんだ」と悲観的な気持ちになりました。 しかし担当の先生や看護師の方々は、「○○さん、悪阻つらいね。無理せずゆっくり乗り切って行こうね」と励まして下さり、救われました。点滴から徐々に麺類だったら口に出来る位まで回復し、2週間で退院しました。 その後もピーク時よりは軽くはなりましたが、結局子供を出産し終わるまで悪阻が続きました。陣痛の波が来るたびに激しく吐いてました。 でもそんな辛さも子供と対面した瞬間にすべてどこかに飛んで行ってしまいました。本当に子供って可愛い。愛おしくてたまりません。 だから今、悪阻で苦しんで辛い思いをされている皆さん、可愛い我が子をその腕に抱きしめるその日まで、どうか無理や過剰な我慢をせず、 辛い時期を乗り越えて下さい。甘えたっていいんです! 周りの無理解に打ちひしがれる時や、いつこの辛さから解放されるか分からない不安があると思います。そんな時、私を含め、こちらの皆さんの体験談が僅かながらでもお役に立てれば良いなと思います。 あなたは一人ではありませんよ。応援しています。

りょうままさん 08/08/27(水) 13:14

二人目を授かり、現在12週に入ります。重症妊娠悪阻で半月の入院を経て、もうすぐ退院です。 1歳10ヶ月の上の子の時も悪阻は重めで、ピーク時は吐き悪阻とヨダレ悪阻で苦しみました。ケトン2で入院こそしませんでしたが、点滴通院はしてました。 その経験のためか、二人目の今回、悪阻を憂鬱に思いつつも変な余裕がありました。 妊娠発覚直前、とにかく眠くてだるくて、何もやる気がおきない状態でした。あまりに身体が動かず、おかしく思って検診を受けたら5週目に入るところでした。 喜びもつかぬ間に、6週後半からは食べ悪阻に...。食べていないと胃がムカムカするため、マックやお惣菜にお世話になりっぱなし。田舎から親が様子見にきたこともあって、外食にも行ったらみるみる間に体重増★ とある産科の先生には『もう臨月の体重じゃないの?吐いて痩せなよ』とまで言われる始末。 それが効いたのか、8週からはとたんに吐き悪阻に。上の子も手がかかるのに、これはマズイと慌てて田舎へ帰省しました。 実家へ帰ってからは、横になってても吐きそうで吐かない悪阻が続き、臭いもダメ、味覚もおかしくなり、かろうじてカリカリ梅だけ食べてました。 家から近いお医者さんにかかると、お薬を処方していただきました。 吐き気止めのプリンペラン、胃薬のマーズレン、便秘によるガスで吐き気が増していたので、下剤のラキソベロン。 特にプリンペランは飲みはじめると吐き気がかなり和らぎ、こんな薬があるなら上の子の時に処方してもらえばよかったと思いましたが...その考えは大甘でした。 薬の効果は約4時間!切れた後は押さえ付けられてた吐き気が一気に噴き出す感じでした。嘔吐が止まらない...。そして薬を飲むのを繰り返していたら、マーズレンを飲んでいても胃痛が酷くなりました。 加えて、慣れない下剤が効きすぎ、下痢も続きました。 症状は悪化し、食べたら嘔吐か下痢、薬を水で飲んでも10分で吐くを繰り返すこと5日。尿検査をしたらケトン最高値のため即日入院! 上の子を実母に預け、看護婦さんの話しでケトン3と聞いていたので、三日くらい点滴したら治るかな~とか思っていました。 けれどもその考えもやはり甘くて、絶飲絶食の点滴2リットル生活は腎臓結石や膀胱炎を経て、抗生剤の投与や筋肉注射の日々に。 点滴も針を刺す場所がなくなり、左右で20ヶ所近くの針後ができました。もうボコボコです。 毎晩胃液を吐いて、担当医が今ピークだと言われるのを信じていたら...アレが始まりました。恐怖のヨダレ悪阻★ とたんに不眠の日々。唇や顎が荒れ、拭うタオルやティッシュの香りや味も気持ち悪い! 結局11週半ばにようやく吐き気だけ落ち着き、子供も心配で退院を決意。なんとかトーストとプリンが食べられるようになりました。 お医者さんから教わりましたが、絶食が長くうどんやお粥でも胃がもたれる場合、焼いてあるトーストに胃液を染み込ませるように食べると食べやすいとか。 実際、私は食べやすかったです。うどんやお粥より胃に負担も軽かった...でも必ず焼かないとダメでした。 ゼリーよりプリンが消化しやすく、モリナガのとろふわプリンがよかったです。カラメルがなく、濃厚な甘さだけど喉越しはしつこくないのであまり吐きませんでした。 飲み物は、点滴を減らした時に水やお茶がダメでもファンタオレンジなら一口ずつ飲めました。炭酸でゲップがでやすく、オレンジの味で一時的にヨダレ悪阻を抑えることもできました。あくまでも一時的ですが☆ 少しでもどなたかの参考になれば幸いです。 今も悪阻に苦しむみなさん、まだ暗闇を手探りで進しかなく心細さも不安もたくさんあるかと思いますが、絶対一人ぼっちじゃありませんから。 ゴールは必ずあります☆一緒に頑張りましょう!!

のんのんさん 08/07/03(木) 10:25

一人目は4週からつわりが始まり、6週から20週までピークで食べ物も水分も受け付けず、8キロ体重が減りました。7週~13週まで重症妊娠悪阻で入院していましたが、全くよくならず・・・食べ物も水分も受け付けず、食べても全部吐き、空気・胃液まで吐く毎日で、頭の中は中絶のことばかり・・・本当に一日一日生きていくのが必死な毎日でした。21週に入ったころ、食べ物を少しは胃にためておくことが出来るようになりました。でも出産まで毎日一日に10回以上吐いていました。なので、妊娠後期は毎日のように、「つわりが終わるまであと何日・・・」と数えてばかりでした。陣痛がやってきたときは、もうつわりとおさらば出来る~!!と陣痛の痛みはまったく苦痛ではありませんでした。赤ちゃんが生まれた同時に体が普通の体に戻って本当に嬉しかったのを覚えています。出産後、体重も10キロ減っていました。 もう二度と子どもはいらないと思っていたのですが、兄弟は必要かなと思い、決心しました。 2人目は5週の頃、つわりがなく、一人目ほどひどくならないだろうと喜んでいたのに、6週からつわりが始まり、7週~13週まで重症妊娠悪阻で点滴通院の毎日・・・入院も勧められましたが、上の子が居るので通院させてもらいました。一人目と同様、胃液まで吐く毎日でした。体重も8キロ減り、中絶も考えました。つばも飲み込めず、洗面器をもちっぱなしでした。20週になると通常のつわりにおさまり、日常生活が出来るようになりました。2人目も出産まで続きました。2人目は1か月早い早産で生まれて、一人目より早く悪阻が終わって一人目より楽でした。出産はすごく楽でした。つわりでたくさん苦しんだ方々は出産が全く苦にならないという言葉、本当だと思います。 一人目も二人目も重症妊娠悪阻になったので、3人目が欲しくても怖くて作れません・・・ 悪阻は気のもちようだとよく言われましたが、この言葉にはすごく悲しくなりました。 気のもちようだと言われ、そうかなぁ?と思って、無理してご飯の買い物にいきましたが、途中で道端に嘔吐してしまい、立つことも出来なくなり、迎えに来てもらった位です。どこからつわりは気のもちようという言葉が出てきたのか理解出来ない位です。病的なつわりは気のもちようでもどうにもならないです。寝ているしかありません。寝ていても苦しいので一日一日を必死に生き抜く・・・そんな生活でした。妊娠悪阻の8か月は5年位病気と闘って生き抜いたような感じでした。時間が進むのがものすごく遅く感じました。 子どもからノロウイルスを貰い、吐きまくったことがありましたが、そのときは気分が悪くても吐きながら家事もすべてやりこなせました。つわりの時はどうしても出来なかった・・・ノロウイルスより悪阻の方が何倍も苦しかったです。あんなひどい悪阻で吐き気に慣れて、吐き気に強くなったんだと思います・・・

みかんさん 08/03/14(金) 14:48

一人目の時は、5週目から何を食べてもすぐ吐いてしまい、 同時によだれづわり、鼻血、高血圧など色々な症状がでてきて 何もできず実家にお世話になりました。 寝ようとしても唾が止まらないのでタオルを噛んで横になり やっと眠っても2時間ほどで目が覚めて、寝ている間に 飲み込んでしまった唾が気持ち悪くてすぐに吐く、を 繰り返していました。止まらない唾のせいで、呼吸法や 妊婦体操ができないし、唾を1分おきに吐き出すので両手が使えず 外出するとじっと不思議そうに見てくる人がいるので母親教室などにもいきませんでした。 初めは助産院に行っていたのですが、つわりに関して 「水が飲めれば大丈夫」などと言われ、何も対処せずひたすら耐えていました。でも毎日血を吐いていたために親に病院に 連れて行かれ、即入院しました。 義母はつわりが全く無かったので入院している私に 「吐いてるわりにはそんなに痩せてないじゃない」だの、 「お母さんに迷惑かけてるねえ」 だのと神経を逆撫でするようなことばかり言い、 ただでさえ苛々しているのに頭がおかしくなりそうだったので 3回目の入院の時は内緒にしていました。 看護婦さんの中にも年配の人で「私の若い頃はつわりなんかで 入院させてくれなかった。這いながら家事をした。」などと 酷いことを言う人がいました。 医師もつわりに関しては点滴するだけで唾液に対しては いつも聞き流しているいだけでした。 同じ病室の人たちは一日中苦しそうな私を見ているので とても励ましてくれ、それだけが救いでした。 結局臨月まですべてのつわりはおさまらず、 3回の入院を経て帝王切開になったのですが、 手術室に入る直前まで何度も吐きました。 「私もつわりひどかったよ」という人がいましたが、皆5,6ヶ月で 終わっていて、産むまで吐いていた人はいませんでした。 つわりは経験した人でないとわかりません。 私は「妊娠は病気じゃない」「赤ちゃんができない人もいるんだから」 という人が大嫌いです。どんなにつらくても8ヶ月たてば 終わりますが、8ヶ月もの間24時間吐いて唾が出続けて… ものすごくつらいんですから。

やすこさん 08/03/06(木) 04:03

5年程前のことを思い出しました。私もよだれつわりに苦しみました。 5週目位の妊娠がわかった頃からつわりが始まりました。当時は仕事をしていたので初めはなんとか出勤していましたが、一日中気持ちが悪くよだれが出続けている状態。よだれを拭くために口にあてるタオル10枚とビニール袋を毎日持参して仕事に行きました。一度は通勤電車の中で吐き気が耐えられなくなり、トイレに行こうと降りたものの間に合わずにホームで吐いてしまい、泣きたくなりました。 お昼は、仕事仲間と外に食べに行くのもつらく、一人机でパンのかけらをほんの少し食べていました。退職を依頼し、2週間程で引継ぎをおこない、あとは有給を使わせていただいて退職しました。 その頃はお水さえ飲むのがつらく、横になっていることもつらく、寝返りをすることもだるくて、毎日「助けて・・・」の言葉しか出てきませんでした。退職の翌日には一人で歩くこともできない程衰弱し、大学病院の待合室でも長椅子に横にならせてもらいました。ケトン+++で重症妊娠悪阻で入院することになり、車椅子で病室へ。 毎日24時間点滴で栄養をもらって、入院1週目は水も何も口にしないように言われました。何も食べていないときでも黄色い胃液を吐き続け、1秒たりとも気持ち悪くない時間がなく、病室にあるトイレに点滴台を引いて行く時以外は一日中横になっているだけ。本を読むこともテレビを見ることもメールも何もしたくなく、ただ横になっていることもつらくて、毎晩なかなか眠れず、一日が1ヶ月に感じる位毎日が長く感じました。 よだれつわりと気持ち悪い状態は続き、毎日よだれを拭きとるティッシュを一日に1.5箱使っていました。 その後3週間程でコップに1cm程の水を1日かかって少しずつ飲めるようになり、1ヶ月半後にやっと通常の1/3くらいの食事(うどんなど)がとれるようになりました。 職場の机の整理ができていないままで気になっていたので、無理してようやく退院させてもらいましたが、自宅に戻っても何もできないため、主人には申し訳なかったのですが、実家で一人世話になりました。 退院三日後に実家の母に付き合ってもらって車で仕事先に連れて行ってもらい、ようやく職場の荷物の整理をしました。しかし、実家では一日横になっていて、母に勧められてほんの少し口にできるだけの状態でした。 やはり衰弱していき2回目の入院。またもや24時間毎日点滴で栄養をもらって入院1週目は水も何も口にしない状態から始まりました。 2ヶ月位後にようやく退院でき、また実家で世話になりました。 やはりよだれと気持ち悪い状態は治まらず、横になっているのもつらい状態で、毎日「助けて・・・」とうめくばかり。 加えて、妊娠後期は上を向いて横になると脈があがり息が苦しくなり、横向きの状態のまましか寝られませんでした。 ただ、この頃はなぜか、おこのみやきと餃子だけ口にできました。食べた後は吐き気がひどくなりましたが。。。 一度妊娠4ヶ月で流産したこともあり(そのときもつわりはありました)、子どもを授かりたいと願い続け、やっと妊娠できたことを喜びましたが、出産まではつらい毎日で、このまま窓から飛び降りれば楽になれるのに・・・と自殺したいと思うことも何度もあって、生きていることがつらい状態でした。 食事も外出も何の楽しみもなく、母の支えに感謝しながら、出産すればつわりがなくなる、と出産だけをただただ待ち望んでいました。 眠っている間は少し楽なので眠っていたいと思うものの眠ることもなかなかできず、常によだれが出て、口にあてているタオルもびしょびしょ、枕の上に敷いたバスタオルもびしょびしょ、終始気持ちが悪くて毎日吐き、帝王切開で出産のときに手術室に入る際もタオルを持っていってよいか看護師さんに聞きました。(結局はタオルの持ち込みはダメと言われてつらかったです。。。) 出産後はつわりがなくなり本当に幸せです。あんなつらい思いをしたのだから、後はたいていのことは平気!って思えます。 つわりは気持ちの持ちようで治るものではないと思います。苦しんでいる皆さん、大変ですが、頑張って乗り切ってくださいね。 もうあんなつらい思いは二度としたくないと思いつつも、5年経った今はもう一人子どもが欲しいと思っています。

ゆうこさん 08/02/13(水) 22:59

現在は小学校2年生と4歳の子の母です。 2回の妊娠共につわりになりました。 1人目の妊娠の時は、2ヶ月目あたりから食事が段々食べれなくなり 果実のゼリー、りんごジュース、それも吐いてしまうようになって アクエリアスを水で倍に薄めたもののみ飲めていました。 この頃には会社はもちろん休み、1日中布団で寝ているだけ。 オカキや夫の体臭等のほとんどの臭いに気持ち悪くなってしまいました。 小水だけは出ていたけど、だんだん色が濃くなっていたので住んでいた マンションの1階が胃腸科の病院だったので受診し、点滴をしてもらえました。 点滴後、少しずつりんごやゼリー等が食べられるようになって、その内、カレーや韓国風の冷麺が食べたくなり、当面は1食分のカレーを1日2、3回に分けて食べていました。 食事が取れるようになった4カ月目から会社に復帰しましたが、今度は空腹になると吐き気がするので3時か4時に少しだけおやつを食べるようにしていました。 食べ忘れて仕事をしていると夕方会社のトイレで吐いていました。 2人目の妊娠の時は妊娠が分かってつわりで気持ち悪くなってきた時に、事前に調べていた漢方を処方してくれる病院に行きました。 ただ、漢方薬を飲んでいてもつわりがどんどん酷くなり、再診した時には点滴を受けました。 2度点滴に通いましたが、具合はどんどん悪くなり、アクエリアスを水で倍に薄めたものも吐くようになって、水分が取れなくなって産科で診察を受けていた病院に急遽連れて行ってもらい、尿検査ケトン++だったので入院しました。 入院直後は6人部屋でしたが私を含めて二人しか居ない部屋で食事の臭いが来ないように配慮してくれました。 4日間程は点滴のみで口からは一切摂取せず、まだ吐き気がするので食べたいという気も無かったです。 ケトン値が下がってきて小さな氷を口に含んだりということをし始め、「何か食べれそう?」という看護婦さんの問いに答える形で薄いおかゆや薄い牛乳を飲むことから摂取し始めました。 入院してからも体重はまだ減少傾向でしたが、臭いさえ我慢すれば普段の半分ぐらいの食事が取れるようになって退院しました。 ただ、退院直後でもまだ食事の臭いで気持ち悪くなるので、換気扇を強にして上の子の食事を作っていました。 本当につらくて時が過ぎるのを待つだけという状況でしたが、いつまでもこれが続くわけではないし、少々食べれない時期があっても妊娠初期の赤ちゃんには影響が無いのを知っていたので「食事から毒を取らないようになのかなぁ」等と勝手に思いながら、食事をこんなに取らない時が一生に何度もあるわけではないから、この(嗅覚や味覚や好みがまるっき普段と違う)不思議な感覚をよーく覚えておこうなんて思っていました。

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