つわりで苦しんでいるすべての人を
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私は現在二人目を妊娠中です。30週になりました。 一人目も出産するまで、気持ち悪さは続いてました。悪阻での入院も 2回繰り返しました。 二人目は1回でしたが、期間が約2ヶ月半。長かったです。 もちろん今も気持ち悪さは続いてますが、入院中に比べれば、随分と 楽になりました。 つわり(悪阻)は、個人差もあり薬も使えず、本人にしかわからない 辛さです。 私は流産を繰り返していました。 やっとの事で、一人目が無事育ち、どれだけ嬉しかった事か。 でも嬉しかったのもつかの間。やっと育ってくれたお腹の子を諦め ようかと思う程、つわりがつらかったのです。そして、二人目が 授かるまでにも、一度流産し、月日も流れ・・。そんな中での待望の 二人目でした。それなのに・・欲しくて欲しくてたまらなかった 赤ちゃんなのに、余りにも辛かったので、医師や看護師に、 もう無理・・ダメです・・と泣きながら話していました。 つわりで一番つらいのは、体が辛いのに加え、精神的に 周りにわかってもらえない事の辛さですかね。 でも、必ず、必ず、楽になります。きっと乗り越えられます。 その強さを持ってます。自分一人ではないんです。ここに投稿して くれる人達のように、わかってくれる人は必ずいます。だから、ど うか、自分だけ・・と思わずに、頑張って下さい。 ある人に言われました。どんなに辛くてもいいから、妊娠したい・・ と。もちろん、自分が悪阻で辛い時は、どんだけ辛いかわかんないか ら、そんな事言えるんだよ!と、随分冷たい考えをしていました。 でも、冷静に考えると、その人にとっては、どんなに悪阻で辛い思い をしても、妊娠できるのなら・・と。 つわりでつらいのは、長くても出産までです。どうか、諦めないで、 投げやりにならないで、頑張って下さい。必ず楽になる時がきます。
私はつわりで10日前後の入院を三回繰り返しました。 つわり以外の悪い症状のない私にドクターがいつも言っていた言葉は 「宿命だよ!しゅくめい!」 なるほど!命が宿ると書いて宿命! 人間が一人おなかの中でどんどん成長しているんだもの、体に変化があってあたりまえ!私は産むまですっきりしませんでしたが、産んだとたんにスッキリ!母乳もバンバンでて健康でしたよ! つわりの後には大きな幸せが待っています!がんばれがんばれ!
つわり中はこちらのサイトにはお世話になりました。 つわりのことを思い出すと気分が悪くなっていたので、出産して一年以上経ってからの投稿です。 始まったのは8週目から、突然でした。前の日までカツ丼をおいしく食べていたのに・・・ その日から、2ヶ月間一日中吐き気に襲われ、吐きっぱなしでテレビの光で具合が悪くなるくらいのめまい、スーパーや冷蔵庫、ほとんどがだめでした。うちの母はつわりが全くない人で理解されずにずいぶんひどいことを言われて精神的にも参ってしまい何度も死にたいって思いました。 つわりが始まって1週間ほどして入院もしましたが、点滴しか方法がないのでとくに良くなったわけでもなく10日ほどで退院し、時々点滴で通院しました。病室で吐いたりしてると気も使うし。 2ヶ月間、夜中も吐くし、よだれで眠れず5キロやせました。 つわりの終わりは徐々にフェイドアウトってかんじでした。 出産は帝王切開、産後に胆石になってしまって手術したのですが、つわりが一番苦しかった!だからいまだに二人目は恐怖で考えられません。 妊娠悪阻での入院後、漢方も試しました。錠剤のものは全く効かなくて、漢方薬局で煎じるタイプのものを飲んだら一時的に楽になったことはありました。 しょうがをたっぷり入れたスープなどは一時的にスッキリしたのでお勧めです。 つわりで苦しんでる方!頑張ってくださいね!!
2人目の妊娠で今、15週です。1人目は24週(7ヶ月)まで吐き続け結局、吐き気は出産後1年程続きました。本当につらかったので子供は1人で終わりにしようと思っていたら、予定外に妊娠してしまいました。あの悪夢が再び・・・。 やはり1人目同様、始まりは6週から吐き気が来ましたが今回は猛烈でした。正社員で仕事をしていて車通勤です。1人目は酔いながら吐きながらも元気に仕事に行けましたが今回は無理でした。歩くだけで目が回りテレビも携帯電話も本も見る事ができず、ただ寝ては吐くの毎日で気付けば1週間で-4kg体重が落ちてしまいフラフラ状態で病院に行きました。ケトン体が+++で血圧が上が70でした。点滴の針が腕の血管を通らず手首から針を刺しました。その日はそのまま入院になりました。上の子が居るので次の日には退院しましたがそのまま2週間は毎日7時間かかる点滴に通いました。その上、悩まされたのはよだれでした。自分の唾が飲み込めない状態でした。1ヶ月程、ほとんど仕事には行けず悪夢の中を彷徨いましたが12週あたりから急に吐かなくなり幾分楽になりました。 今はたまに襲ってくる吐き気だけで夢のような日々です。1人目がキツかっただけに急にぶり返さないかとビクビクしてますが。。。今回は短期集中猛烈型だったように思います。まだガムや飴を1日中食べてますが・・・。 子供によって全然違うと思いました。関係がないかもしれませんが、1人目は女の子で今回は男の子のようです。 ちなみに私は出産も36時間苦しんだ末、回旋異常で急遽帝王切開になり出産も散々でしたが、ツワリに比べたら何てことはないです。ほんの2~3日耐えれば済むことですから。こうやって母親は強くなっていくんだと自分が経験して思いました。子供は私が作り上げた最高傑作です!!って思います。
苦しかったとき、このサイトを読んで随分勇気づけられました。 今、14週に入ったところですが、ピークを思うと随分おさまりました。 5週に入った頃から、何を食べてもいつもと味が違うように思い始め、 その後すぐ、一日中気持ち悪くて、食べても吐くので、食事らしい食事はできなくなりました。 炊事は全く駄目。転勤のため、実家からは遠い土地で、夫が買ってくるお惣菜の味にもなじめず、 まだ安定期に入るまでは近所の人にも話すのはやめようと思っていたので 相談相手は電話の先の母や義母だけ。 食べられるのは、小さく切った梨、りんご、果物系のゼリーだけで、 それも吐くので、体力がなくなりふらふらで、5キロほどやせ、普段の家事も殆どできませんでした。 それでも、ここを含め、つわりに関するいろんなサイトや本・雑誌を読んで、 「みんながんばってるし、いつかは終わるって書いてあるから・・・」 と我慢して、初診から3週間後の8週に入った検診の日、 ケトン体+4が出て、入院してもいい位だよ、といわれました。 ありがたいことに、麦茶で水分は取れていたので、点滴でもいいといわれ、 それから3日間点滴を打ちに病院に通いました。 そのあとも点滴を打ったら楽よと、助産師さんに言われましたが、 その後連休で病院が休みなこと、 一度実家に帰って、食べなれた味なら食べられるかも・・という思いと 義母も母も帰ったほうがいいと言うので、ドクターの許可を貰って実家へ帰りました。 点滴後は、気持ち悪さは残っていて食べたいという気持ちは無いものの、 体力が戻り、一ヶ月ぶりのすっきりした気分でした。 私はもともと心配性で、いろんなサイトや本に書いてある 「一週間で○キロ痩せたら妊娠悪阻の疑い」とか「水も飲めなくなったら病院へ」 という記述を気にしすぎたり、 いざ病院へ行ったら「我慢して」と言われてショックを受けたくないという 今思うと馬鹿みたいな理由で、検診の日まで病院へ行かなかったのですが、 ほんとにつらい、と思ったら、思い切って病院へ行ったほうがいいですよ。 楽になれるなら、これほど体力的にも、精神的にも良いことはないですから。 できる範囲でがんばりましょうね!
つわりで苦しんでいる方にお役に立てるかわかりませんが投稿させていただこうと思います。 私は二人出産しましたが、どちらも死ぬほどの{つわり}を経験しました。 妊娠1か月から約7か月まで気持ち悪い毎日でした。 症状:吐き気 嘔吐 めまい 眠気 頭痛 呼吸困難 唾液の逆流 憂鬱 イライラ 潔癖症 むくみ 腰痛 など すべてが気持ち悪くてしかたなかったです。 私は、出産をするために病院を5つ回り自分にあった場所を探しました。 結論から言って、漢方はすごく助かりました。 飲み薬ではありません。 点滴で、ソリタンT13号 200ml (黄色の液体)と言います。 産婦人科で出される定番の透明点滴は効かず漢方を処方している産科に 毎日約1時間通って耐え過ごしました。 点滴・薬が効かなくて、どうしようもない場合は、やはり山や川など田舎の環境のあるところに行くと{つわり}はかなり軽減されましたよ。
今二人目の妊娠中(13週)です。 1人目も吐きまくりでしたが、今回の2人目は前回以上の地獄の日々です。今回、私のつわりは食べづわりや吐きづわりやいろいろなのがまざっていったい何づわり?!って思ってしまうほどよくわからないのです。 お腹は空くのに食欲はなく食べてるときは少し楽(?)になり食後すぐ吐くみたいなよくわからない状態に喋れなくなるくらいの激しい胃痛に下痢と便秘の腹痛に唾液が飲込めず、タオルやティッシュにだしまくり、トイレ以外は布団の上から全く動く事もできず、ピーク時は1週くらい、胃液や胆汁や血まで吐き、尿検査で"ケトン"がでてしまい、ほぼ飲まず食わず点滴で生きていました。しかも、吐き過ぎで胃や食道は荒れ、飲み物やゼリーを飲む時、あまりの痛さに泣きながら飲んでました。 食べれた物は、ア○スの実と、かき氷と、凍ったゼリー(凍らせないと食べれません)と、カップうどんのど○兵(2、3口ほど)のみでした。一時期、そうめんやうどんを食べれましたが、食べ初めて2日目くらいから食べるのも見るのも全くダメに(なぜかど○兵は大丈夫でした…)なってしまい、そんな感じで他の物も1日や2日で食べれなくなり、ほとんど何も食べれなくなっていました。匂いは全部ダメでしたので洗濯バサミを鼻につけて(かなり痛いです)食べるか、鼻をつまんで食べるか、息を止めて食べました。 上の子(1歳半)が心配だったので、ピークになる前に実家に帰り母に子供をずっと見てもらったのがすごく助かりました。 毎日毎日、泣きながら吐き、泣きながら食べ、夜も苦しくて泣いてしまいました。 13週になった今、まだ胃痛や下痢や便秘はありますが、吐く回数は2、3日に1回くらいに、昼だけ(朝と夜は無理)野菜が食べれるようになり、他は、パンとバナナとお茶で生きてます。点滴をしなくて良くて吐く回数が減った事でやっと少し楽になりました。この調子で良くなるように頑張りたいです。
5週目から何を食べても気持ち悪く吐いていました。体重もどんどん減って、水分も受け付けなくなっていましたが、周りの出産経験者がツワリはツラかったと言っていたので、みんなこうだったんだと自分に言い聞かせ耐えていました。ですが11週目の検診でお医者さんに「普通のツワリではなく入院が必要。飢餓状態の時に出るケトン体が検出されています」と言われ2週間入院しました。3本の点滴と、栄養士さんと話し合って食べれそうなものを食事に出してもらう毎日でした。何とか水分をとれるようになり退院しました。しかし、ツワリがなくなったわけではなく、臨月に入っても吐き続け、ついには陣痛が来ても陣痛と陣痛の合間に吐き、出産するまでおさまりませんでした。出産後も吐き気はおさまらず、2日ほどたってようやくご飯を美味しく食べることができました。食べれなくなったものとか、嫌になった匂いは特にありませんでした。とにかく食べたら吐くの繰り返しで、ツワリが始まった5週目からあまりにも気持ち悪くて、2時間以上連続して眠れませんでした。陣痛はツワリと比べたらたいしたことなかったように感じます。陣痛は1~2日で終わりですから。ツワリは8ヶ月間…。長かったです。
妻が重症妊娠悪阻の診断を受けて、今日で入院11日目。まだお互いの両親に報告していないために妻の衣類洗濯や買い物は自分が世話することに、、、最近は、自分の仕事休みが偶然重なっていたため毎日面会できていたのですが、妻のつわりはすさまじく眠れないほどなので合っているときも会話もありません。たまには趣味の波乗りに行こうかと(もちろん朝だけ)前日の夕方に会話していたら、早朝に「私が苦しんでいるのにあなただけいい思いをして、、、」とメールが、、、。 行かなくて良かった ホントに(疲れて寝坊しただけだけど) それで看護婦さんに妻の悪阻って普通こんなものなのって聞いたら「あんまり、ここまだの方は少ないですよ」って、 少し心配になってここのサイト見てみたら、思いのほか妻と同じ症状の方が多く驚きました。というか、かなり心配になりました。 なんか、俺って面会に行ってるだけでホントに心配していなかったなって思って。 今は、妊娠8週目ですがこのサイトで勉強してなんとか現状を抜け出せたいです。
昨年第1子妊娠、出産しました。私もこのサイトに助けられたので、体験談を投稿します。 7週から激しい嘔吐が始まり、職場を休みました、少し食べられる日と、全く食べられず吐き続ける日を繰り返しながら、次第に悪化。 10週過ぎからは少量の水を飲んでもその何倍もの胃液、胆汁を嘔吐することが一日に十数回も。。。唾液もたくさん出ました。この時家では這って移動していました。シャワーを浴びたりすると脱衣所で動けなくなりました。 最後は食道粘膜が切れて(猛烈に痛い!)、鮮血を数回嘔吐し怖くなって、結局11週から2週間ほど入院。ケトン体は3+で、電解質バランスも崩れていました。体重は-6kgでした。 絶食の上一日5本の点滴を1週間、その間も一日十数回胃液を吐いていました。 プリンペランは気休めくらいの効果しかありませんでした。その後少しずつ摂食可能となり、退院しました。退院後も日に数回の嘔吐が持続しましたが、20週を過ぎて回数が激減し、長い吐きづわりがおさまりました。(食べられない食材はたくさんありましたが、これが普通のつわりかなという状態が出産までもやもや持続。) 私は周囲の音が何もかも苦痛で、テレビも音量を1にしないとつけていられない、普段何ともなかった外の車の音が苦痛で本気で引越しを考えるほどでした。 入院中もテレビなどほとんどつけず、部屋の電気も消して耐えていました。 本や新聞紙のインクの匂いもとても嫌でした。 体を締め付けるものが苦しくて、腹帯は一度も出来ませんでした。 夜何とか寝ると朝起き上がるまでは吐き気がなく、このままずっと寝ていられたらと毎日思いました(一番ひどい時は吐き続けていてまず寝付けませんが)。 調子が良いときに食べやすかったものは、宅配ピザ、氷を入れたコーラ、サイダー、紅茶、ファーストフードのポテト(不健康そうなものでも絶食よりはマシです)。 特に受け付けなかったものは、ご飯粒、ウーロン茶、ぶどう、魚、しょうが、繊維が多く胃に残ってる時間が長いもの。 横になっている期間が長く、体力も落ちたため、嘔吐がおさまってからの妊娠生活もいつもだるく、散歩などもほとんどできませんでした。徒歩15分の職場に車でないと行けないくらいでした。 お産は安産で、短時間、つわりの方がうんと苦しかったです。 生んだとたん本当に食事がおいしかった!!まずいと評判の病院食がほんとにおいしくて感激しました。 いつ終わるのか先の見えない悪阻、赤ちゃんへの心配、なぜ自分がこんなにつわりがひどいのかという気持ち、そして初めて感じた自分の命の危機。。。ほんとうにつらかったです。泣き叫んだこともありましたが、支えてくれた夫、母に感謝です。 今にこにこしている我が子を見ていて幸せだなと心から思います。 つわりの最中は妊娠は一度で精一杯と、思ってましたが、もう2人くらい欲しいな、と思っています。
昨年の3月に長女出産、間もなく1歳のお誕生日をむかえるところです。毎日かわいい娘の成長を楽しんでいます。
しかしあのつらかった日々は月日が経っても忘れることが出来ません。妊娠がわかった2ヶ月頃から気持ち悪くなって、でもその頃は妊娠したことがうれしかったので何かきもちわるーい、これがいわゆるつわりなのねとうれしさ半分でした。
それが次の週には仕事帰りの路上で初めて嘔吐・・・そこから地獄が始まりました。朝から晩まで今まで味わったことのない猛烈な吐き気が襲ってきたのです!!!!
季節が夏だったこともあって暑いしきもちわるいし嘔吐しまくりで多い時は1時間で6回くらい吐いてました。何も出来ずに一日とにかく横になっているしかありませんでした。仕事も休みました。そんな時、周囲の人が「家にいたほうが気持ち悪いよー」とか「仕事いったほうが気がまぎれるよー」とか「私はつわりあったけど気持ち悪い日でも仕事休まなかったわ」とか武勇伝だかなんだか知らないけど、自分はそんなつらい状況でもがんばっていたんだからあなただってできるわよ的な発言をするのです。でも私はぜーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーったいに動けなかった!!!!何もできなかった!!!!
まず起き上がれない、電磁波の振動が気持ち悪く携帯も出れない、テレビも見れない、パソコンもだめ、活字をみると気持ち悪いので本も読めない、食事もとれない(とってもすぐ吐く)。もちろん家事も一切できませんでした。旦那が文句一つ言わず全部やってくれて、本当に感謝しています。
そんなんで1週間に3キロやせました。病院の検診に行くにも車の車内が皮で、夏の熱気でいやなにおいがするのでげーげー吐きながら行きました。先生にみてもらうとケトンが尿から出ているので、入院してくださいと言われ、1週間の入院、食事は出ず点滴だったのでおなかすいていても氷やゼリーしか口に出来ません。それでも嘔吐はとまりませんでした。
退院して家に帰って(実は旦那の実家に1ヶ月お世話になり、上げ膳据え膳やってもらってしまったの。やせて体力がなくなったのでトイレにいくにもふらふらでやっとの思いだった。)だいぶ軽くなったかなと思うまで3ヶ月間かかりました。とにかく長かった・・・・・つらかった・・・そうするとこんどは唾液が出てとまらなくなって、紙袋の中にビニール袋を入れて(いわゆるエチケット袋)どこでも吐き出していました。旦那は今でも私が紙袋を持っているのをみると自分も気持ち悪くなるみたいです。それも妊娠9ヶ月頃まで続きました。結局つわりで8キロまでおち、そのあと猛烈な食欲が出てよだれ吐きつつも55キロまで太っちゃって、お医者様からおこられてました。
とにかく、つわりは人それぞれです!!周囲のひとがつらくても起きれるわよとか言うのは、それはその人が起き上がれるくらいのつわりだったからです。絶対に起き上がれないつわりもあります。動けないときは旦那さんやご実家に甘えてしまいましょう。あんなひどい妊娠悪阻でも元気な赤ちゃん生まれるから心配しないで乗り切って!!!
私には1歳9ヶ月になる息子がいて、そして現在、妊娠中で5ヶ月目に入ったところのママです。
空腹を感じると吐き気はあるものの、やっと安定期っぽく具合が落ち着いてきました。
つわりがひどくて先の見えない毎日・・生きている心地のしなかった約2ヶ月。
甘えたい盛りの息子と一緒に遊んであげられない悲しさ。しかも望んでいた妊娠だったので、逆に私が吐いて吐いて水分さえも摂れないことで、赤ちゃんには悪影響がないのかということもすごく心配でした。
ある日突然、すごい吐き気と身体のだるさで朝起きました。絶対におかしい!と思って産婦人科に行ってみたら、妊娠5週目に入っているというこでした。まさにこの日から、妊娠悪阻の日々が始まりました。
まず全然食欲がありません。冷蔵庫の匂い、炒め物の匂い、今まで普通に過ごしていた部屋の匂い、息子のオムツの匂い・・すべての匂いにとても敏感になり、嘔吐を繰り返していました。胃液を吐いていたせいか、喉が荒れてしまって。咳・タンがよく出ました。困ったのはなんといっても唾液。どんどん口中にたまり、しかも自分の唾液でさえも不快で、飲み込めませんでした。おかげで寝込んでいる傍らには常に洗面器。
1ヶ月で9キロ落ちて、体力はすでに限界でした。
実母に病院に連れて行ってもらったら、そのまま即入院。医師・看護師さんには「こんなになるまで我慢しないで、もっと早くきてよかったのに。」とかわいそがられました。24時間点滴のみ。それでもずっと嘔吐を繰り返していました。1週間ほどたったらすこしの空腹感を感じてきたので、おかゆを出してもらい、夜中の点滴1本減らせるように。5日たって、さっぱりしたおかずを何品か食べられるようになった頃、点滴がなくなりました。それから2日様子をみて、退院しました。
入院期間は2週間。医療保険に入っていたので、費用の約8割は返ってきました。
この頃は吐き気はあるものの、グミやガムを食べれば我慢できるようになりました。
私のつわり体験はこんな感じです。
とりあえず、つらすぎる人は我慢しないで病院に行きましょう!!
私は幸いにも、同居している義母・義父・主人みんなが心配してくれて、親身にお世話をしてもらい、息子の面倒も任せることができましたので。
自分のつわりにだけ集中することができました(笑) 身近なひとには、こんなときくらい甘えましょう!そして乗り切りましょう!
つわり・・それは地獄の日々でした・・。私は現在5ヶ月になる初産婦です。まだ時々吐きますがピークの時に比べかなり体調も良くなり体重も三キロ増えました。
私がつわりをはじめて感じたのは妊娠がわかって(一ヶ月)すぐでした。前日までつわりこないね~なんてつわりを待ち望んでいたような気持ちでしたが、翌朝お弁当を作ろうと起きたら吐き気がすごくてその日はやっと朝食を作り終えすぐに布団に潜りこみました。その日からつわりとの闘いが始まりました。勿論その日からお弁当などもってのほか夕食さえろくに作れない日々が続きました。何とか買い物にと、外にでてはあらゆる臭いに敏感になりすぐに具合が悪くなって家に戻ってくる始末・・。私は吐きつわり、よだれつわり、眠りつわりなど全て経験しました。食べつわりも後半少しあったようです。
テレビの音や新聞の臭い、活字や日光など全てにおいて拒否反応が出て、毎晩主人に「頼むから代わって・・」と必死にすがりました。幸いなことに主人はとても優しくしてくれて夕食なども自分で買ってきたり、時には料理も作ってくれたりして私に辛くあたることは決してありませんでした。
こちらのページも閲覧したりしてますます私を大事にしてくれたのです。本当に有難くて涙がしました。
そんな日々が続き、ある日突然めまいがしてたっていられなくなり、寝ていてもくらくら・・何をしてももう気がおかしくなるほどの症状に見舞われました。
もうどうしようもなく夜主人に頼んで夜間の病院へ行き、そのまま入院しました。3日程点滴をうち、毎日何度も吐きながら食事もろくに食べれなかったです。私には点滴が効いたようには思えなかったのですが、入院して思ったのが毎回三食出される食事でやはり他人が作ったものは少しでも食べようかな、という気になるということです。
事実家にいるよりは食べなければ!という気持ちが出て少しでも口にいれることができたのです。吐きながらでも食べれそうなものは食べる・・・入院して分ったのはこの事でした(苦笑)家に戻ってからも一ヶ月程吐きましたが確実に前より回復に向かっていました。
今は空腹だと吐きますが、それも3日に一度程。ほとんど食べれるようになりやっと妊娠生活をエンジョイできそうです。
ここにくるまで本当に辛かった・・。でもエコーでわが子を見るたびに「がんばらないと、この子もがんばってるんだ・・」と自分に言い聞かせ何とか耐えていましたw)。
いまだによだれつわりは残っていて、夜寝ている私の横はティッシュペーパーの山ですが峠はなんとか越えたようです。私もひどい時は毎日カレンダーを眺め泣いていました。私は産むまで続くのかすごく不安でしたが本当に終わりを迎えることができてほっとしています。
今つわりで苦しんでいる方、お気持ち察します。辛い時は無理しないで!周りの心無い人たちの言葉など鵜呑みにしないでくださいね。精一杯我侭いってください。あなた一人の体ではないのですから。辛い時は入院したり、仕事も休んでみてはどうですか?旦那さんにもこのサイト何気なく見せてあげてください。協力してくれると思います。皆さん元気な赤ちゃんに会えますように・・・。
私は妊娠発覚後(2ヶ月)すぐにツワリがでて、出産まで続きました。
このサイトをみて自分のツワリの種類が、吐きツワリ・食べツワリ・よだれツワリの3種類混合とわかりました。
食べ物は全てダメ嗜好が変わるどころじゃなく、飲み物は脱水を防ぐためトイレの前で何度も一気飲みしては吐くと繰り返し、夜ももちろん眠れず吐き続け、便器は胃液でまっ黄色になりました。
病院では脱水症状でてないからと何もされませんでした。
この世の全てが嫌になり憎くなり人格も壊れる感じでした。私は他の方とは違い他人批判に走りました。地球が滅亡して欲しいと思うくらいでした。新聞に載るような事をしなかったのが奇跡です。
歩く人は殴りたくなり、信号待ちの排気ガスを出している車から何度運転手を引きずり出して殴ろうかと思ったくらいです。
何をどうしても1日中逃れられない地獄に怒りと悲しみとぐちゃぐちゃでした。
でも、とにかくお腹の子だけは守ろうという意識はあり、1分1秒自分が死んだらこの子も死ぬんだと気合をいれ 今までにないくらい気迫がすごい毎日でもありました。
安定期にはおさまると信じてたのに、出産まであり産後も体をまっすぐにできないくらいの疲労で授乳すらできず、ツワリが終わったかどうかさえわかりませんでした。もう心身共に疲れきってました。
その後今は2歳になる息子の育児をしてますが、1日中泣きわめき寝ない食べない病気する子供で育児もめちゃくちゃ大変でした。
妊娠から断乳まで2年半以上、寝る事、食べる事はもちろん用を足す事すらままならず、育児で何度もぶっ倒れました。
今はウソみたいにイイ子で、私も少しずつ回復してきてます。
人間て本当に強いもんだと強くなれるものだと、しみじみ実感してます。
子供を産んで育ててる今は、自分の命以上に大事な大事な子供を言い尽くせないほど愛しく思ってます。
現在三人目妊娠12週です。
私のつわりは「あれ、生理遅れてる!?」って気がついたのと同時期に始まりました。
空腹時のムカムカと常時胸焼けのような不快感、ああ三人目が来てくれたとすぐに思いました。
あまり早くに診察を受けても確認がとれないため出直しを言い渡されたりするので、少し様子を見てから受診しようと考えていました。
が、日増しに食事がのどを通らなくなり、少し食べても吐く。お茶も吐く。水も吐く。
二人のちびたちがまとわりついてきても「ごめーん、ちょっとねんねさせてくれるぅ」で、起きあがれない始末。
子どもたちを寝かしつけた後、夜遅い夫を待つのがホントに苦痛でした。横になっていても胸焼けが苦しくて、何か飲めばやっぱり吐いてしまう。
実家の母が様子を見に来てくれ、「早く診て貰いなさい」の言葉に押されて受診しました。
尿検査でケトンが4プラスとのこと。すぐに入院を勧められました。このときまだ6週に入ったばかりでした。
点滴を一日4本、吐き気は少し治まったものの私にはひどく苦痛な5日間でした。改善したからと言うより早く解放されたい一心で退院してきました。
その後実家で約3週間、ほぼ寝たきりの状態で面倒を見て貰い、我が家に帰ってきました。
相変わらず少し食べては吐く(空腹になるとそれもまた気持ち悪い)という毎日で5キロ程減っているでしょうか。それがこの2、3日少し変わってきました。
食べ出すと止まらないのです。空腹が気持ち悪くて、何かしら少し食べ始めるともうそこからズルズルと・・・。食べている間だけ気持ち悪さを忘れていられます。でも結局またトイレに駆け込む羽目に。
食べたいものも毎回違います。麺類だったり、パンだったり、フルーツだったり。(ただご飯だけは全くダメになりました。炊けるにおいも、湯気も何もかもウッときます。)
なんだか精神的にやられちゃってる感じで少し怖い気もします。つわりだからと思って時期が過ぎるまでこのままいてもよいものかしらと心配です。
夕方ぐらいからダメージがピークになってくるのでもう食事はあきらめています。
シャーベットなどを少し口にしたり、だましだまし水分を摂るくらいでしょうか。
寝る直前までシャーベットを口にしているときもあります。
まだつわりから解放される日は見えてきませんが「同じような症状の人がいるんだ」っていうふうに読んで貰えればと思い投稿しました。
ちなみに私の場合は出産時間が一人目5時間、二人目2時間と少しといった具合につわりに苦しんだご褒美のように早くすみました。
このHPにはつわりの間、とてもお世話になりました。そのお礼として書き込みしたいと思います。
私は14週までにつわりがほぼ収まるまで、ずっと食べづわりでした。
大体ちょっと気分が悪いなぁとか、歯磨きの時におぇっとなり始めたのが5週から6週の始めぐらい。そのころは食事の変化などはありませんでした。その後、6週後半から猛烈な食欲に襲われました。とにかく1,2時間ごとにお腹が空くのです。そして、妊娠前と同じぐらいの食事の量を取ると胸焼けして気分が悪くなりました。徐々に一回の食事量が減り、食事回数が増えて行きました。
7週から12週ぐらいまで一日6食ぐらいに分けてご飯を食べ、胃の中に何もない状態を作らないようにしていました。ちょっとでもお腹が空くと気分が悪くなった為です。仕事中でも格好悪いと思いつつ、おやつやおにぎりをひたすら食べまくっていました。
食事回数が増えた頃、これまで好きだった魚介類全般がダメになりました。とにかく臭いが全然ダメで、見ただけでもおぇっとなるぐらいでした。生もゆでたのも焼いたのもどれもダメでした。一方、毎日の様に食べていたのはトマトと梅干しです。これを食べると不思議と気分が悪いのが緩和されました。また、やたらとこってりした洋食ばかり欲しくなる傾向もありました。このような食生活だったので、つわりがおさまるまで胸焼けしまくっていました。つわりが始まってから終わるまで一度も吐くことはありませんでしたが、それでも辛かったです。
ピークは11週末で、それ以後は徐々に収まっていきました。猛烈な食欲も13週までにはおさまって食事も一日3回に戻りました。ものすごく太るんじゃないかと心配していましたが、不思議と体重の増減はほとんどありませんでした。
1歳の女の子のママです。私は妊娠がわかってすぐ(5週目位)からひどい吐き気が始まって、6週目からは一日にジュース(炭酸の)を3口飲めればいい位で、一日中吐きまくりました。
起き上がる事もできず寝たきりでトイレに行くまでの廊下でも何度か吐きました。どんな匂いにも吐き、テレビで食べ物がうつっているのを見るだけでも吐いていました。無理して一口果物とか食べるとすぐ何回も吐いて、全く何も食べれず毎日点滴に通いました。
妊娠前身長160cm、体重48キロの私ですが、1カ月半だけで13キロも痩せてしまい、35キロになってしまいました。脳貧血を起こし、何度も家で倒れたのもあり、結局9週目から入院し、16週まで病院で24時間点滴をつなぎっぱなしの生活をしていました。本当に今まで生きてきて一番つらかったです。体重が40キロをきってしまった時からは毎日泣いていました。
横を向くだけてひどいめまいもして、病室内しか歩くことも許されないほどでした。毎日血も吐き、吐きすぎてのども切れて余計血を吐いていました。体的にも精神的にも限界でした。
でも一番傷ついたのは、義母や友人が「つわりがひどいのは運動不足だから」とか「胃とか体が弱いんじゃないか」とか「無理してでも食べないと赤ちゃんが病気になる」とか「寝てばかりだから余計つわりがきつくなる」などいろいろな事を言われ、本当にくやしいやら悲しいやら精神的に限界なのがさらに追い詰められていました。
ひどいつわりを経験した人にしかこの苦しさを分かってもらえないんだなと悲しくなりました。食べれるなら勿論食べてるし、立てるものなら立ってるよ!と言いたかったです。
一番傷ついたのは「私もそんな痩せたいから代わってほしいわ」と言った義母の言葉です。。。皆さんも許しがたい言葉を言われる事があるかもしれませんが、馬鹿な人だと思って流してください。助産婦さんもお医者さまもおっしゃっていましたが、つわりがあるという事は赤ちゃんがすごく元気だという証拠であるだけだそうです。
赤ちゃんによってつわりがひどい、軽いも違うみたいです。本当につわりがひどいのは辛いです。でもこの苦しさを乗り越えられたら自分の自信にもなるし、出産も怖くないですよ。出産は1日で終わりますから☆あともし水分が取れるようであれば炭酸の飲み物は胃酸を押さえていれるみたいで幾分かは楽になるようです。私は一口くらいですが、飲んでいました。
つわりがひどい時はまだ赤ちゃんもすごく小さいので栄養とか心配しなくて大丈夫みたいです。なのでいろんな心配せずにがんばってください!私も5ヶ月になったらだんだん食べれるようになり、6ヶ月には嘘みたいにつわりがなくなりました。
こんにちわ。私も重度妊娠悪阻で苦しんだ一人です。みなさんの体験談を何度も読み何度も泣き救われました。
一度流産しており、高プロラクチン血症と診断され薬を処方されてから半年で妊娠しました。待望の妊娠だったのですごくうれしかったのと、また流産するのでは?という気持ちから不安もありました。
私の悪阻がはじまったのは妊娠5週目頃からです。始めはなんとなく胸がムカムカしてこれがつわりなのかな?という程度でした。それから食べられる物が限られてきてフル-ツや炭酸しか受け付けなくなりました。でもまだ食べられるものがあるから大丈夫と思い家で一日中横になっていました。吐くのも1日2回程度でした。
ただ、体力は日に日に落ちていき7週後半の朝胃に激痛が走り嘔吐したら血が混じっていたので、主人に病院に連れて行って欲しいと頼んだら、「仕事があるから無理。もっと早く病院へ行けよ」って言われました。しかたなく実父に連絡して病院まで運んでもらいました。胃の痛みが激しかったので点滴を打ってもらいました。数時間で500ミリを6本打ちました。それでも胃の痛みは治まるどころかひどくなる一方でした。
入院したいと言いましたが、ケトンが出ていなかったので入院するほどではないと言われたので、しょうがなく実家に帰ることにしました。その後も胃の痛みと吐き気は治まることがなく再び病院へ。そのまま入院になりました。
それからが地獄の始まりでした。24時間ほとんど眠ることが出来ず、吐き気も治まらずこんなんだったら赤ちゃんおろしたいって思いました。1週間入院しましたが、病院にいるのが嫌になって退院しました。
実家に帰ってからは母にしっかりしろと言われたのでつらいとも言えず我慢しました。相変わらず眠ることも出来ず吐き気も治まらず、胃の痛みもありました。退院してから5日たった日胃の痛みが耐えられず、病院に行きたいと母に言ったら「また?痛いと思ってるから痛いんじゃないの?我慢しなさい。」って言われましたが、どうしても我慢できずに救急で病院に連れて行ってもらいました。
ガスタ-を点滴してもらいましたが、まったく効かず。麻酔を打ってもらいようやく痛みが和らいできました。今度はケトンが出ていたのでそのまま入院になりました。薬がきいたので1時間位は久しぶりにウトウトする事が出来ましたが薬が切れたらまた激痛が。4時間位で麻酔が切れるのでその度に点滴をしてもらいました。
---(文字化けの為、消失)---
赤ちゃんは順調でしたが、31週の頃よく動いていた胎動があまり動かなくなってしまい、不安になって夜中病院へ連れて行ってもらいました。
分娩監視装置をつけてもらったら赤ちゃんの呼吸が著しく落ちるところがあって転院しないといけないと言われました。今すぐに帝王切開をして取り出さないと助からないとの事で母体ごと救急車で搬送になり、そのまま緊急帝王切開で出産しました。1352gの女の子でした。産声を聞いたときは手術してるのを忘れてしまうほどうれしかったです。未熟児で産まれてしまいましたが今のところ何もなく順調に育っています。改めて思うのはあの時おろさなくて良かった。頑張って良かった。なんだかんだいって私の面倒を見てくれた母と主人に感謝です。そして無事産まれてきてくれた我が子に感謝です。
妊娠悪阻でつらい方へ
私が妊娠中このサイトのみなさんのコメントにどれだけ励まされたかわかりません。
無事に出産できたら必ず私も力不足ながら、同じ苦しみに立ち向かっている方にエールを送りたいと思ってました。
私も妊娠が判明した6週からひどいつわりが始まり、すぐにケトン体+3になりました。
初めての妊娠でどこまで我慢していいのかもわからず、かかりつけの産科の先生には「気の持ちようだから、外出したり楽しいことを考えなさい。」ととしか言われず、何も処置をしてもらえず、すぐに8キロ体重が減りこのまま衰弱死してしまうかとも思いました。
周囲の言葉、自分へのみじめさ、先の見えない不安…。どんなにつらかったかなんて、ここで書いたら山のようにありますが、今みなさんが頑張っている耐え難い事、私もきっと同じ苦しみを体験しました。
偉そうな事は言えませんが、どうか、先が見えなく思えても絶対にもとの体調に戻りますから、長い長い人生の長くても十月十日耐えれば、他のどんな妊婦さんより最高の喜びが待ってますよ!
私がそうでしたが、つわりがひどくて何度も赤ちゃんをあきらめようと考えてしまったり、お腹の中の赤ちゃんの存在を喜べなかったり、赤ちゃんが私を苦しめているような気になり腹をたてたりしましたし、
その反面、動くのもおっくうでしたので、他の妊婦さんに比べて赤ちゃんに何もしてあげられない自分を責めたりしました。
赤ちゃんをちゃんと愛して育てられるか自信もありませんでした。
今、出産して小さな命を抱きしめて感じるのは、赤ちゃんは何でも知ってたのかなと思います。 私がひどいことを考えた事も、自信がなく悩んだ事も…。
全て分かっていてそれでも私の事が大好きで頼って私のお腹の中に来たんだなって。生まれてきた赤ちゃんを抱きしめたら、様々な不安は吹っ飛んでしまいましたよ!
どうか、今は誰にも分かってもらえないつらい事が多いと思いますが、お腹の赤ちゃんよりまずは自分を第一に考えて、どうかどうか頑張ってください!
私は、一日にゼリー半分しか食べられない日々が1ヶ月以上続きましたが、立派に栄養がとれなくても元気な赤ちゃんが生まれましたよ!
それと、少し気持ちに余裕が出てきたら、是非「わたしがあなたを選びました」という本を読んでみてください。おすすめの本です。 それでは、長々と書いてしまいましたが最後まで読んでいただいてありがとうございました。応援してます!頑張ってください!
私も3年前の今頃、つわりかなり辛かったです。現在その時の子供は2歳(男の子)になり、かなりワンパク坊主です。そして私も、ツワリで食べれなかった頃がウソのように食欲ありすぎてブクブクおばさん太り中です・・。
元々食べる事が大好きな私は、妊娠してツワリがきても絶対「食いつわり」だと思ってました。しかし実際妊娠してみると、見事なほどの吐きづわりの妊娠悪阻。
つわりが始まったのは、おそらく3~4週目ぐらいからだったと思います。最初おかしいなと思ったのは、ラーメンを食べた時。なんだか全く違うものを食べたような味がしたんです。それからしばらく胃がムカムカする日々が続き、徐々に悪化していくのでおかしいなぁと思っていたら、妊娠してたんです。ラーメン食べた日から二週間程して妊娠発覚!
そして、だんだん食べれなくなり水も飲めなくなり、尿検査でもケトンが出始めたので点滴を開始。でも、ケトンが最高値というのが何日も続いたので結局入院となり1日4本の点滴を受ける事になりました。入院も最初は1週間で退院したのですが、また酷くなり再度1ケ月入院となりました。
入院中も、食欲はゼロ・水分を取ってもすぐに吐く・夜中も吐いてかなり辛い日々が続きました。食べてなくても胃液やたん汁が出たりして・・・。も~一生分吐いたような気がします。吐くのにもかなり体力つかうから、体もだんだん衰弱して・・。
一番最悪時期は、テレビやポスターに食べ物が出てるだけで吐いてました。そして5ケ月に入ってもまだまだ良くならないので、担当の先生から飲み薬を勧められました。最初は漢方を・・そして次に妊娠悪阻のお薬。漢方(生姜味)はあまり効果はなかったのですが、お薬の方は効いているうちは食欲も少し戻り吐き気もなくなりました。
でも副作用のせいか、すっごく眠たくなったり鼻がつまったりはしました。吐き気がなくなるのは薬が効いている間だけだけど、少しでも吐かなくてもいい時間があるだけ当時の私には幸せなことでした。
結局私のツワリ生活は、出産するまで続きました。(産んだ後はウソのようにお腹すいた感覚がもどってきました)でも、8ケ月ぐらいからは少し買い物に行けるぐらいにはなりました。しかし、ゲロ袋は絶対に持参です。吐き続ける事はなくても、突然ゲロゲロがくるので・・・。
ツワリの辛さってなった人にしかわからないし、またツワリの重さも同じく重かった人にしかわからない・・・結局どのくらい辛いかなんて本人にしかわかないものだと思います。
でも周りの人、特に男である旦那さんや妊娠経験のない人、そしてツワリが無かったり軽かったお姑さんや実母は「なんて大げさな」とか「食べないから入院になるのよ」「吐いても食べたら栄養になるから無理にでも食べろ」「気のもちよう」などなどツワリ中の女性には辛い言葉をなげかけてきます。私も実際、旦那にもお姑さんにも色々言われたり笑われたりしました。
でも、気持ちのもちようで食べれるのなら入院してないし、食べようと思い食べれるのなら、とっくに食べてます。それに食べてすぐ吐いたら栄養にならないでしょ。ほんとこういう事言う人には、今すぐ同じ状況になってほしいと思います。
ちなみに今、旦那の妹が妊娠中で、ツワリの真っ最中です。入院まではいかないみたいだけど、聞いた話では辛そうです。
義妹頑張れ~とは思いますが、気になるのは義母と我が家の旦那。あれだけ私のツワリの時にはメチャクチャな事言ったり、舌打ちしたりしてたのに、なんと実の子、実の妹となると態度は一変!義母も旦那も、毎日毎日心配モードです。
これはいったいどういう事か????もしかして、私のツワリの時のことを思い出したのか?それとも、嫁と実子・妹との差なのか?私としては義妹が、義母や旦那に心配してもらえて正直羨ましい。そしてこれも正直な気持ちですが、義母・旦那に対してムカつきます(怒)でもまぁ、嫁は所詮他人ですからね・・・こんなこともあるのでしょう。
ということで、半分私の愚痴になってしまったような気がしますが、以上が私のツワリ経験話です。今、辛いツワリ中の皆さん、食べたくない時は無理しないで!でも、場合によっては点滴や入院が必要になってくる場合があるので、周りに何か言われても、しんどかったらお医者さん助産師さん等に相談しましょう!何か良い方法を教えてくれると思います。
私の吐きづわりが始まったのは、生理が来なくなって10日頃くらいでした。
早すぎゞ( ̄∇ ̄;) そして2ヶ月間地獄でした。体重は44Kgから39Kgに。その間、2回ほど「あれ?楽?食べたい!もしかして終わった?」という日があり、喜んで食べた翌日は地獄のレベルアップ...
もう自分が一体何に耐えているのか分からなくなり、気が狂いそうになるが狂う体力がない。入院もしました。でも、栄養を入れる24時間点滴で、つわりは変わらず点滴を吐く・゚゚・(×_×)・゚゚・結局、苦痛。
誰にも医者にもどうすることもできない、ひたすら耐えるしかない!のですね。生きた心地がしない毎日。ようやく現在16週目にして、胃は重いけど、少しずつ動けるように。ヾ(@⌒▽⌒@)ノ
でも調子に乗って動くと、すごい疲労。辛かった2ヶ月間、救われたのは家族の優しさでした。「病気じゃないのだから、仕事して気を紛らわせなさい」とよく聞くけど、そんなこと言われたらたぶんキレてました。夫は「辛いな。辛いって言えばええんや。お前だけのことじゃないんやで。二人でしたことなんやで。」と言ってくれた時、(この人の子を産む!耐えてみせる!)と強い気持ちになれました。思いやりのある言葉は唯一の薬です!!
この先も体の変化には心配だけど、わたしがんばります(o^∇^o)ノ
つわり・・・今思い出すだけでも顔がゆがむ思いです。現在2ヶ月の息子のママです。出産するまでに色々大変でしたが一番つわりの時期が大変でした。
まず、病院で妊娠が確認されたのが6週目だったのですがその頃すでに気持ち悪さがありました。まだ食事が摂れていたのですがだんだんと吐くようになりました。不思議な事にご飯の炊けるにおいがダメだとか、食べ物の好みは変わらなかったんです。好きな物を食べれる時に食べていたのですが、9週目になるとみるみるうちに減っていった体重が-6Kgに・・・。
かろうじて水分は取れていたのですが、動くのも息をしているだけで気持ち悪さがおそい、そのうち嘔吐物(ほとんど胃液!?)に茶褐色の物が混じり喉の奥と食道がやける様に痛く夜も眠れない日が続き、入院加療となりました。
約1ヶ月間入院したのですが、‘赤ちゃんの為に食べなければ’という観念から逃れられ環境も変化したのか、点滴が神様の様に見えました(^^;) 退院して一旦家に戻ったのですが、又食べられなくなって病院に出戻り・・・。その後、普通に食べられる様になったのは、妊娠6ヶ月~8ヶ月の2ヶ月間だけ。そして妊娠8ヶ月には切迫早産で再び入院、逆子だったためそのまま帝王切開での出産と妊娠期間のほとんどを病院で過ごしました!
仕事をずっとしていたのですが、私は仕事に行く事がとてもストレスで気分転換にはなりませんでした。あるサイトでは「吐いても食べる事」なんて書いてあったけど、体を動かすだけでも、吐いてて旦那が背中をさするだけでも『もうほっといて!!』って感じでイライラとメソメソでしたが、そんな私の態度にも旦那は「一時的な物だから頑張って」と応援してくれゴミ出しなど家事も手伝ってくれました。私が思うことは、確かにつわりの知識は欲しいしどうしていいかわからなくなって雑誌やネットを見たりしたけど、見ている時間さえもたないし、周りで言われている事はあくまでも周りが言っている事であって、あてにはならない!! 無理に食べ様としなくても日帰りで病院で点滴そしてもらうだけでも楽になります。
あまり参考にはならないかもしれないけど、毎日時間は過ぎていってます。必ずつわりはおさまります!(長い人は出産が終われば・・・) ボーっとしているのもありかな~と。
無理して頑張らなくてもいいです、妊婦サン応援してます!!
私は、現在2人の子供(5才、5ヶ月)の子がいますが2人ともつわりがあり、悪阻で入院しました。悪阻で入院した中で特に下の子が妊娠中の時がひどかったです。
5,6週から吐き気、だるさ、家の匂い全般、特に流しの匂いが駄目ですぐにトイレに駆け込むほどでした。食事も通らず食べると吐くの繰り返しでおまけに上の娘のお迎えもあり、無理をしながらの生活でした。9週目で我慢ができなくなり、病院に。ケトンの数値がよくなく、即、入院。毎日、点滴5本の生活。5日間の入院でした。家に戻ると吐くのはおさまったのはいいけど吐き気、胸焼けはおさまらず5ヶ月まで続きました。上の子の時も7週で食べづわりがあり、何か食べてると落ち着いてたのが4ヶ月目で急に吐き気があり、これをさかえに食べ物も受け付けず水分だけになってしまい、5ヶ月で切迫流産及び悪阻で1週間入院しました。
現在、つわりの真っ最中の方、気を落とさずに頑張って下さい。いつかは自然におさまるものです。
このサイトを初めて見て、こんなにもつわりで苦しんでいる人は多いのかと勇気付けられました。私も今2歳の娘を妊娠した時は、大変辛い思いをしました。
5週目の時、仕事の途中に切迫流産で病院へ行き、そのまま緊急入院。翌週からつわりが始まりました。吐くとすっきりしたのは一日だけで、一日中船酔い状態で、何回も吐くように。あっという間に水も吐くようになり、一日二本の点滴で生きる日々が来ました。それでもいきなり入院した事実が受け入れられなくて、どうしても家に帰りたく、8週目の時に看護婦さんが心配する中、退院しました。家に帰ってみると、点滴がないと全く水分が取れず、氷を口に入れてもわずかな水分でさえ吐き、動悸が止まらない現実にようやく諦めがつき、翌日再入院しました。
3年前の流産からやっと授かった子だったので、どんなにしんどくても頑張ろうと看護師さんにも弱音を吐くことはなかったのですが、吐くものがないのに胃液や血、胆汁を吐く毎日に、1ヶ月を過ぎる頃から精神的に参り、「私はダメなのかな」と主人に泣きながら言いました。
体重は46kgから35kgになり、筋肉が落ちすぎて診察室へ行く階段を一人で上り下りできなくなり、お尻の肉が落ちて骨がベッドに当たって痛いので座布団をひいたり、肩が床ずれのようになったり、もうボロボロでした。
11週に入ったころ、ようやく少しなら水を吐かなくなりました。また、吐く回数が減り、えづくだけで止まることが増えました。するとお医者さんが「今週末に退院しましょう!」と言いました。私としてはまだ1日二本の点滴をしていたので、退院して大丈夫なのか不安だったのですが、不思議なことに退院してからはみるみる良くなりました。県外にある実家の祖母がまだ動けない私のために来てくれて、毎日ご飯を作ってくれたのも安心できた理由です。
私の場合、産院はとても感じが良く、看護師さんも「辛かったら、言ってくれていいよ。」とか、「私もひどかったの。辛いよねー。」と慰めてくれたし、お医者さんはいつもひょうひょうと「元気?(なわけがない)ちゃんと赤ちゃんはお母さんから栄養もらって大きくなってるからね」と病室をのぞいて言ってくれました。「先生、私このままやせ過ぎで死ぬかも」って訴えたら、「あはは。大丈夫。母親は強いから。女の人っていうのは、そういうふうにできてるんだなあ」と言ってました。
ちなみに本当につわりが終わってから、ものすごい食欲がわき、35kgだった体重は55kgまで増え、先生に注意されるようになりました。
あのしんどいつわりが終わってからも、前置胎盤で大量出血してまた入院したりしましたが、お産はものすごく楽でした。そして、やっと手にした我が子は本当に宝物です。
今、2番目の子を妊娠しています。まだ5週目ですでにつわりが始まっているので、またあんな目にあったらどうしようととても不安です。でも、子供は本当にかわいいです。つわりが終わるまで、ひたすら我慢するだけです。今苦しんでおられる方、一緒になんとか乗りきりましょうね。
二人目の妊娠中にこちらのサイトと出会える事が出来ました。体験談にどれだけ励まされたかわかりません。ですので私も今つわりでつらい方の力になれたらと思い体験談を投稿させて下さい。
一人目の時
妊娠4週から吐き始めました。初めは仕事にも行っていましたが吐く回数が多くて仕事にならなくなり暫く休んでましたが、1ヶ月休んだ後退職しました。なかなかつわりが治まる気配がなかったからです。水分を飲んでもすぐ吐く、食べ物はまったく口にする気にもなりませんでした。TVで食べ物が映ったりするだけで吐いていて9週頃からはTVもみれなくなりただただ寝ているだけでした。吐きすぎて食道や喉が切れて血を吐いて夜中に救急病院へ行く事も何度かありその時は妊娠した事すら喜べず諦めようとさえしました。飲んだり食べたりできず点滴しに通院していましたが通院するにもタクシーの匂いに吐き気を催してました。先生は「12週過ぎれば少しは楽になるから」と言っていましたがその気配もなく・・・なのでもうただただ早く時間が過ぎてこの苦痛から逃れたいだけで・・・体重は13kg減りました。少し食欲が出てきたのは30週過ぎた頃です
。でも結局出産するまで毎日吐いていました。産んだら途端に気持ち悪いのはなくなり入院中のご飯がなんて美味しいんだろうって思ったのが忘れられません。
二人目の時
同じく妊娠4週から吐き始めました。ちょうどGWに入る前日でGWは旅行に行く計画立てていたんですが吐いて吐いて吐きまくっていたのでもう、無理かなと思っていましたが旅行当日は気持ち悪いのがなくなっていたんです。二人目はつわりは軽いって周りから言われていたのでもう終わったんだって思い旅行に行きました。旅行が終わった次の日からまた気持ち悪くて吐き始めました・・・。上の子は1歳半でお世話も大変で正直つらかったです。二人目を望んで作ったのに苦しくて苦しくて前回同様飲み食べができませんでしたが、子供のご飯は作らなきゃいけないしで吐きながらご飯を作ってました。前回の妊娠時に13kg減だったので今回は5kg減ったら無理せず入院してと病院に言われていて結局つわりが始まって1週間で体重が減り即入院になりました・・・。3週間位入院してました。絶食して24時間点滴でした。少し体調がよくなってきたので退院しましたが吐かない日はありませんでした・・・。退院後も1ヶ月位は子供の二人で実家にお世話になってました。その頃唾液悪阻も併発で調子が良くても外出がままなりませんでした。とにかく口の中いっぱいに唾液があふれてて気持ち悪くて飲み込めないんです。子供は外に遊びに行きたいと言っても連れて行ってあげられなかったです。28週すぎ位から吐く回数は減ってきましたが唾液悪阻だけはなかなか良くならず外出する時はティッシュ1箱とビニール袋が欠かせずティッシュに唾を吐いてビニール袋に捨てていました。産婦人科には一度内科に相談した方がと言われ相談しましたが良い対策はなく唾液が飲み込めないなら無理に飲み込まなくて良いからと言われました。
結局一人目同様今回も出産するまで吐いてました。唾液も飲み込ませんでした。出産した後さすがに吐く事はなくなりましたが唾液だけは飲み込めず食後は特に口の中が気持ち悪かったのを覚えています。でも、それも日に日に和らいでいき現在産後1ヶ月半ですが唾液は普通に飲み込めるようになりました。
今思うとなんであんなに気持ち悪かったんだろうって不思議な位です。悪阻は病気じゃないって言いますがやはり悪阻のまっただなかにある本人には病気じゃなくても本当につらいんですよね。でも、ツライのも長くても出産すれば終わるので(悪阻中には一生続いたらどうしようとか私も考えていましたが)どうか乗り切って欲しいです。
私のつわりが始まったのは、妊娠が判明してからで、妊娠3ヶ月の頃からでした。
最初の頃は少し気分が悪いなぁ、という程度で仕事にも普通に行っていました。ところが4ヶ月目に入るかという位から、焼き魚の匂いに始まって味噌汁の匂い、最終的には台所の匂い自体がまったく受け付けなくなり、朝起きて台所に続いている部屋に入ったとたんトイレに直行してました。
そんな状態なので当然ご飯も食べられずに最初は主人の薦めでカロリーメイトなどを少しずつ食べていましたが、遂にはそれも吐くようになりました。私の場合はその間主人が台所に入ってくれて、私は少しでも楽な姿勢を探して休んでいました。
最終的に私は5ヶ月目のあたりで、2週間の入院をしましたが、その時同室の患者さんと色々お話を聞いたり自分の辛い気分を話したりとしみじみと人と話す事が、気分的にも精神的にも楽になると思いました。その後退院し、約6ヶ月になってまだ食べれないものもありますが、今は無事に食べれる様になりました。
結果的に私の体験で感じたことは、つわりの期間は本当にもう嫌だと感じてばかりでしたが、これさえ乗り越えれば自分の好きなあれが食べれると考えている事と、主人の優しさでしたので、今辛い思いをしている皆さんも、今は自分はこれから子育てで忙しくなる私のために、子供がくれている休暇と考えて周りに甘えれるだけ甘えて何もしないのも手だと思います。
現在妊娠8ヶ月です。私の経験談が少しでもお役に立てばと思い、投稿します。
私は妊娠が判った4週目からつわりが始まり、4ヶ月目~5ヶ月目まで入院しました。
入院時に看護婦さんから教えてもらったのですが、「冷湿布を貼る」のはお勧めですよ。 これで吐き気を有る程度まぎらわせることができました。
私が使っていたのは「久光製薬(株)の経皮鎮痛消炎剤 モーラス」というものでしたが、たぶん冷たくなればいいと思います。
で、この冷湿布を胸から胃の上くらいにかけて(食道を冷やすイメージ?で)貼るのです。ちょっと伸ばし気味にして縦に貼れば1枚でOKです。
時間よって吐き気の強さに波があるようでしたら、あまりひどくなってから貼るより、軽いうちに貼っておくのが効果的です。
あと「泣くこと」もお勧めです。
自分の辛さで泣くのも、映画とかでも。泣いた後はしばらく吐き気が遠のきました。
私だけかなあ??周りに辛いことを分かってもらう機会になるかも知れないし、 よければお試し下さい。
もう一つお勧めしたいのが東洋医学です。 退院後にまだ辛くて、針治療とお灸をやりました。
針とお灸は別々の所だったのですが、どちらも手首のあたりのツボを意識して治療していたみたいです。施術後は手足がぽかぽかして血行がよくなり、尿の回数が増えました。そして何よりリラックスできたことが私にとってとても大切だったと思います。
つわりって体だけじゃなく精神的にも周りからの無理解も辛いですよね。
「みんな辛いことなんだから私も我慢しなきゃ」と思うのはこの際やめましょうよ。
「私が辛い」って事だけで十分な理由になってるんだから、仕事を休んでも、泣いても、頼っても、それは全部アリなことです。
30年昔にこのサイトがあればあれほど周囲の無理解に苦しまなくても良かったのにと思います。妊娠4ヶ月目には50キロあった体重が40キロになるなど、吐くものがなくのどから血が出るくらい吐き続けました。
一人目と三人目は重症妊娠悪阻と言うことで入院しましたが姑にはもちろん自分の母親にまで甘えていると責められました。主人は同情はしてくれましたが家事はやってはくれませんでした。今も似たような回りの反応だと思います。そんなつらい思いをして産んだ子はまったく障害もなく成績優秀で大きくなりました。その娘が今同じようにつわりに苦しんでいます。かわいそうですが見ているしかありません。
つらい時期にある若いお母さんにぜひ伝えてください。おなかの赤ちゃんはそんな状況でもちゃんと育っているので信じてがんばってくださいと
私は今妊娠19週です。今はつわりもだいぶ落ち着いてきて1日2回程度吐くくらいですんでいます。
私は2週間ほど妊娠悪阻と診断され入院していました。入院したときは水の1滴も飲めず、毎日シャーベット(激甘のもの)しか食べられず、またそれも吐き続け、ケトンが出てしまいました。胃液、血、たん汁、あらゆるものを吐きました。吐き気で夜もまとまって眠れず、気がおかしくなっていたような気がします。
水が飲めなくなってから3日目、全く眠れず、明け方に病院に電話をして泣きながら苦しさを訴えました。そして旦那におくってもらって病院に行きました。これで少し良くなるかもと思ったのでしょうか、病院のトイレで吐きながら、わんわんと泣き出し、興奮してしまい、その勢いだか突然出血、切迫流産とも診断を受けました。
苦しかった。本当につらかったです。
今も吐いていますし、胸焼け、ゲップもひどいけど、そのときに比べれば楽です。今苦しんでいる方、我慢せずに病院に行きましょう。私は水が飲めなくなって3日目に病院にいきましたが、もっと早く行けばよかったと思っています。あまりの具合の悪さに動けなくなる前に行きましょう。そうしないとどんどんつらくなっていきますよ。
点滴を受ければ少しからだが楽になりますよ。我慢してもちっとも得になりません。やばいと思ったら、意識が朦朧とする前に病院へ行くことをすすめます。
このツラさは経験した人しかわからないと思います。ひどいことを言う人は無視しましょう。
がんばっておられる妊婦さん、きっと赤ちゃんはおなかの中からお母さんを応援していますよ。
私は吐き気で妊娠4週と分かり、しばらくは点滴してもらいに通院していましたが、重症妊娠悪阻で入院しました。食べ物はまったく受け付けず、水を飲んでも直後に吐いていました。吐き気は眠って意識がないとき以外はずっと激しく数分ごとに吐いていました。歩くのもつらく、ポータブルトイレを使いました。47㎏から37㎏になりました。点滴は腕の血管が弱って入らなくなったのと、衰弱してきたため、11週より中心静脈栄養にしました。これで、鎖骨下の大静脈に管を入れて、高カロリー輸液ができるようにしました。それでも、苦しさからは逃れることができなくて一日中涙がぽろぽろこぼれました。口鼻のどは、胃酸でただれ、のどがからからで呼吸が苦しくベッド上で吐き続ける毎日。
おなかに赤ちゃんがいることは喜びでした。夫は一所懸命できることをしてくれたし、両親も元気付けてくれました。医師も看護師さんも時間があれば私の部屋に来て励ましてくれ、エコーに映った赤ちゃんの写真をかわいく壁に貼ってくれたり、マッサージしてくれたりしました。胃薬、吐き気止め、睡眠薬のどれも効かないし、あとは励まししかなかったのですね。皆さんに感謝しています。
妊娠18週のある日、意識が混濁しているとき、部長先生から「母体が危ないので明日胎児をおろします。」といわれました。考える力もなくただ泣いていたようでした。次の日、さらに容態が悪化して急性腎不全、DIC〔播種性血小板凝固症候群〕を発症し、輸血などの緊急の治療をしました。胃カメラで調べると、胃や食道からの出血も見られたようです。気がついたときは酸素マスクをつけていました。医師から赤ちゃんが亡くなったことを聞きました。
赤ちゃんが大きいので、五日後に促進剤を使って出産しました。血小板輸血で血液が回復して出血に耐えられるようになってからです。とてもかわいい赤ちゃんでしたよ。
つわりの原因は、はっきりしていないし、効果的な対処も分かっていません。この件では、私も家族も大変つらい経験をしましたし、病院の職員の方々も無力感を味わったでしょう。ただ、娘(赤ちゃんは女の子でした)は、自分の状況を判断して身を引いたのだと感じます。自分が今無事に生きていることに感謝します。ありがとう!
現在22週の妊婦です。
私のつわりが始まったのは、妊娠をなんとなく感じ始めた7週目からです。
カフェオレが大好きなんで、ある朝作ろうと牛乳を見たらなんだか気持ち悪い。それが始まりでした・・・。それから米、ねぎ、玉ねぎ、青野菜、赤野菜、根菜類全て、果物、ごま油、豆腐、揚げ、魚、豚肉、牛肉・・・など。ほとんどの食品を受け付けなくなりました。約2週間で、体重は5キロ減りました。真夏と重なっていたので、暑い日ほどつわりが酷くなっていたように思います。
病院で毎日1回点滴を行いましたが、針を刺したままベットで吐くのも当たり前。最終的には水、お茶も吐くようになりました。点滴を1ヶ月し続けましたが、一向に変化は見られず、家族の援助も得られなかったので入院になりました。そのころには、吐血もしていたので、食道が胃液で焼けて余りの痛さに益々水分も取れなくなりました。
しかし病院ではまだまだ軽い方だと聞き、そのときは「私は辛いんだから」と悲しくもなりましたが、本当に今思うと未だ軽い方であったと思いました。入院の間に無理やり食事は出してもらい、定期的に何か食べる物を見る、口に入れてみる癖をつけてみました。もちろん吐きながらですけれど・・。それから無理やりなりにもリズムが出来、口に何かを運ぶ事が出来るようになりました。その後、自宅へ戻ってもあまり変化はなく、相変わらず吐いて暮らしていました。
気分転換は私には意味が無く、よく友人達にも「気を紛らしたら?」と言われました。でも、それがとても苦痛でした。まぎれる人はまぎらせて来たのでしょうから、仕方ありませんが。本当に、人によって異なるのだと感じました。
あれから3ヶ月以上過ぎましたが、今も吐きますし食べることの出来ない物も沢山ありますが、相当ましになりましたので元気に過ごしています。つわりは本当に辛いし、赤ちゃんの実感もほとんど感じない時に起きるので、かなり後ろ向きになるかと思いますが、必ず終わります。そして、赤ちゃんはいつの間にか自分の支えになりますから、今つわりで苦しんでいる方。無理しないで、適当に頑張って日が経つのを待って下さいね。
皆様の体験談を読み、涙がとまらなくなりました。
現在12週目に入り、今日は比較的つわりが落ち着いています。
私も始めは体調不良から妊娠が発覚し、妊娠5週目にはつわりらしきものが始まり、加えて不正出血と腹痛のために「切迫流産のため1ヶ月の自宅安静しなさい」と医師に言われ、そのまま会社を退職せざるをえませんでした。
当時は2級建築士の資格取得をめざし、1次試験に合格した直後のことでした。つわりと腹痛で2次試験の製図の勉強が出来ず、試験を断念しました。妊娠の喜び、不本意な退職、試験断念、つわり、流産の不安・・・と色々な感情が私の中でうずまいていました。なんで、妊娠したんだろう?後悔・・・いや後悔だけはしたくない・・・でも・・・と精神不安定でした。
幸い、家事は一切主人がやってくれることになりました。これはとてもとても感謝しています。
つわりは日を追うごとにひどくなり、歯磨きをすると吐くのはもちろん、食べるとすぐ吐く、何かの匂いで吐く、起きてすぐ吐く等、生きていることが精一杯になってきました。口の中は思いっきり渇くか、唾液が止まらなくだらだら出るか極端で、ティッシュボックスを1日1箱は使い切りました。
体重もみるみるうちに減っていきました。私は標準体型ですが、10週目には妊娠前よりも8kgほど減少し、水も受け付けなくなり怖くなりました。普段気にしないような、家具の匂い、新聞の匂い、雑誌の匂い、台所の匂い、主人の匂い、シャンプーの匂い、全て気持ち悪く、刺激物になりました。家中の匂いに襲われるような感覚に陥りました。「もう、病院いかなきゃだめだ」と思いました。
主人に付き添われて病院に行くと点滴と入院を勧められました。しかし私の中に「つわりは病気じゃないし、入院より家にいたい」という思いがありました。幸い、体育の日を入れた3連休の始めの土曜日だったので、主人もいることだし点滴通院で様子を見させていただくことになりました。しかし、症状は良くならず、3日目の月曜日の点滴中に医師から再度入院を勧められ、入院することになりました。診断は「重症悪阻・脱水」。
入院は正解でした。なぜあんなに我慢していたのだろう、と思いました。そこの病院のスタッフは医師・看護師のみならず、掃除の方までが親切に声をかけてくださり、みなさん丁寧で癒されました。びっくりしたのは食事です。「何でもリクエストしてくださいね。アイスとか果物とかゼリーとか、氷や飲み物も。食べられないものも言って下さいね。」と看護師さんが言って下さり、希望通りになる病院食にびっくりしました。私はアイスを出してもらったり、魚類禁止にしてもらいました。
1日中点滴をし、看護師さんたちの、見回りのたびの優しい声がけや体験談等のお話につわりのつらさは薄れるように感じました。何より家中の不快な匂いから開放されました。嘘のようにどんどん楽になっていくのが分かりました。
私の場合、もともと食いしん坊だったせいか、入院2日目から少しづつ食べ、吐き、少しづつ良くなって吐く量が減り、5日目には退院できました。退院時の診察ではエコーで赤ちゃんがピチピチ元気よく動き回るのを見て「これだけつわりのひどい人は大抵赤ちゃんはものすごっく元気ですよね~(笑)」と医師に言われ、涙が出ました。その後、赤ちゃんの写真をもらい、何度もながめ、つわりのつらさも忘れられました。大丈夫、頑張れる、と思いました。
「退院、早いほうですよ」と看護師さん達に言われました。見送られる際には「もう我慢せずに、つらくなったら24時間いつでも電話して来ていいんですよ」と言われ、涙が出ました。
しかし、帰宅するとまた家中の匂いにやられ、退院して1日目、2日目とつわりがブリ返し、嘔吐しました。でも、3日目の今日はまたつわりがおだやかになり、こうして体験談を読み、涙し、自分も書き込むことができました。
つわりで苦しむ皆様、つらくてつらくて「死にたいな」とか妊娠自体を後悔してしまう、そんな思いの時もあるでしょう。でもきっとこのつらさを乗り越えたこと、自分の糧になります。楽しい赤ちゃんとの生活のスタートも待ってます。
一緒に頑張って乗り切りましょう!
今、つわり真っ最中の人、本当に気持ち悪いですよね。でもあなたは何にも悪くないです。自分を責めたりしないでくださいね。
私は普段は食欲旺盛、夏でもバクバク食べられるんです。それが。。。
思い出すのも身震いします。現在2歳の娘を妊娠したときのことです。6週目くらいに「なんとなく気持ち悪いなぁ」だったのが、1週間後には食事の準備ができず、食欲がなくなり、9週目に入る頃には食事はのどを通らず、食べ物を見るのも嫌になってきました。同居していたので実家に帰らせてもらいました。
ある日、おかずを3口食べたくらいでしょうか、猛烈な吐き気をもよおし、トイレまで間に合わず皿の上に吐きました。そこからは何もかも(お茶も!)戻しました。戻すものがなくなると血の混じった胃液まではきました。「私は妊娠しちゃいけない体なんだろうか」「今までの生活が悪かったんだろうか」考え方まで否定的になってきました。
病院に行き、妊娠悪阻と診断され入院することになりました。点滴は最初一日4本でした。
1週間が過ぎ、少し食べられるようになったので一度退院しましたが、3日後から食べられなくなり1週間後に再入院。2週間後に退院しましたが、また1週間で再々入院。病院にいることが私にとっての精神安定剤だったようです。母にはとても気苦労をかけました。だって家に帰ってくると戻しちゃうんですから(^^)。最後の入院は、いろんなものが食べられるようになるまでと思い、結果3週間いました。もう5ヶ月に入っていました。
病院のスタッフの方々とのやりとりからも精神的な安心を得ることができました。「食べたいものがあったらなんでもいいのよ、お菓子でもジュースでも。」「赤ちゃんが元気な証拠だからね」 また、同じ病室に妊娠悪阻で入院している人がいたことも「私だけじゃないんだ」と思わせてくれました。
つわりで気持ち悪いとき「赤ちゃんなんか作るんじゃなかった」「私には妊娠する資格がないんだ」と思いました。そう思う自分が本当に嫌でさらに自己嫌悪になりました。「赤ちゃんの分も食べなきゃだめだよ」とか「吐いても食べなきゃおなかの子が大きくならないよ」とか言われると、神経がすごく過敏になっていて「それはわかっててもできないんだから、だまっててーーーー!」声に出して叫びました。
同じ病室になった、つわりの大先輩(3人目の妊娠で3人ともつわりがひどかった人です)が「つわりって本当に気持ち悪いよね、赤ちゃんいらないって思うよね。出産の痛みの方が楽だもの。2日くらいで終わるから」と言ってくれたのがとても印象的でした。私は帝王切開だったので、出産の痛みとの比較はできませんが(笑)、つわりってそれぐらい大変なものです。決して自分を責めることはしないでくださいね。気持ち悪いときはどんどん泣いてもいいと思います。数ヵ月後、あなたの腕に天使が舞い降りてきますよ。
私は近々もう一度妊娠したいと思っています。天使の寝顔は、あの悪夢のような気持ち悪さを吹き飛ばしてくれます!!!
長文になりました。「気持ち悪いーーー!」我慢せずに叫んでみて!
はじめまして、このHPにはお世話になったので、恩返しじゃないけど見に来る人に少しでも参考になればと思い、投稿します。
現在2人目を妊娠中、やっと5ヶ月に入ったところです。ここまで、本当に長かった・・・でも、ほぼ終わりつつあります。。ひと月前、パソコンが触れるようになって、このHPをみて勇気付けられたり怖くなったりしていました。
一人目のときは妊娠3~4ヶ月で6kg減、入院できずに点滴に通院し、仕事は丸1ヶ月休みました。結局出産までに5kg増で、正常分娩でした。つわりがあまりにもつらかったために、出産への恐怖心はほとんどなくて、体重管理も注意されることはほとんどありませんでした。
出産自体は、割と冷静に乗り越えることはできたけれど、つわりはもうどうしたらいいかわからず途方にくれる毎日。あれほど情熱を持っていた仕事にも全く就くことができなくなり、正社員で働いていたため周囲には本当に迷惑をかけました。
つわり後半の4ヶ月半ばから復帰しましたが、肉体的に辛かったです。
職場は、妊娠・出産への理解は比較的あって辛く当たられたり、酷い事を言われる事はほとんどありませんでした。逆に実母にひどくなじられることは多々ありました。
今回は、同様に3~4ヶ月で8kg減、入院させてくれる病院だったので、3週間入院しました。旦那、実家の父母(別居)に上の子供を預けました。正社員で共働きであったにもかかわらず、夫はほとんど家事・育児をしなかったので今回のつわりと入院で、家事・育児ができるようになりました。
今は、料理ができ、上の子の世話ができる程度まで回復しました。
とくにひどかったのが、入居しているアパート(築10年)の、壁紙の接着剤のにおい、台所・トイレ・洗面所・浴室の換気扇が同じダクトを通っているために、それらの匂いが混ざって部屋全体に漂うために、ピーク時はアパートに一歩足を踏み入れただけでトイレに直行でした。後はよだれつわりでした。
今は、気にはなるけど耐えられる程度です。
今、3,4ヶ月でつわりのピークを迎えている皆さん、どんなにか辛いことでしょう。でも、終わります。私も信じられずに絶望的な気持ちで毎日を過ごしていました。
今は、ピーク時に比べたら天国です。自力で家事ができ、子供の面倒も見られる、なんて幸せなことか。体調さえ良ければ何でもないことなんです。
だから私は、一人目の産後の育児も辛く感じることはほとんどなくて、布オムツで1歳まで頑張れたくらいです。(育児休業を取れたこともありますが。)
だから、がんばってください。うまく気分転換をして、聞いてくれる人にはどんどん話をして、何かで気を紛らわし、赤ちゃんが元気に生きていくための準備だと思えば多少違うのではないでしょうか。
現在2人目を妊娠中です。
1人目の時もつわりがひどく、口にするもの全てを吐き、体重は4kg減りました。検診でケトン体(++++)であることがわかり即入院。24時間点滴(トイレも入浴時も)の入院生活を9日間過ごしました。その後もストレスによる羊水過少・切迫早産で入院。頭痛でも吐き、妊娠7ヶ月で再び脱水症状になり点滴。つらい妊娠生活でした。
理解の少ない姑の辛い態度に苦しんでいましたが救いだったのは、産婦人科医や看護婦さんがとても親切で、ストレスで入院した時も「病院を逃げ場だと思って。そんなに頑張らなくていい。お姑さんにはちょっとおおげさなくらいに説明しとく。希望なら面会謝絶にだってしてやるから。」と本当に親身になっていただきました。
2人目の現在つわり真っ只中。空腹時・食事の匂い・冷蔵庫の匂い・ペットの臭い…とにかく何にでも吐いてしまい、胃液だけを吐いたり、最近では吐いたものに血が混ざります。3kg体重が減りました。妊娠後、車酔いが酷くなり病院に行くことさえままなりません。葉酸のビタミン剤を飲んでいますが、飲む日と飲まない日では具合が違う気がします。飲んだ日のほうが少し調子がいいです。
現在、4ヶ月の妊婦です。初めての妊娠でとまどうばかり。自分の体なのに自分じゃどうしようもできない事に驚きを感じる毎日でした。
つわりは「1 食べつわり・めまい・船酔い状態」から始まり、次に「2 吐きつわり」へと移行。
「1」の時は、常に何かを口にしていました。菓子パンで空腹を埋めていました。胃に適度な重量感をもとめる感じで、午前2時に理性では食べたくないのに、体はそうじゃなくて。そのアンバランスな状態が苦しかったです。常にめまいがつきまとい、動く事ができないのも妙に暗い気持ちにさせてくれました。
でも、まだ、まだ、だったのです。
「2」へ移行したのは10週を過ぎた頃でした。何を食べても吐くようになりました。水さえも受けつけず。胃には何も入っていないはずなのに、変な色の液体が1時間ごとに体外へ排出されるのです。もう、寝ながら吐いていました。今まで生きてきて、意識がないのに吐いたのは初めての経験。
・・・入院。
入院って、大げさな感じがして後は、なんか、後ろめたい感じがして極力避けていたのですが、限界でした。でも、実際に入院してみると“もっと早くしておけばよかったぁ”と思う程!!!
理解ある看護師さんの励ましや、点滴(プリペラン)、家事からの解放、と、なにから何まで妊婦にはやさしい環境でした。点滴は即効性があり、悪夢の嘔吐からはすぐに解放されました。気持ち悪さが治まるまで、日常生活ができるようになるまで一ヶ月近く入院していました。
実際、その方が良かった気がします。(ひどい貧血状態にもなっていました。それも鉄剤を点滴することで回復)
パートナーも安心して仕事に専念できたみたいですし、なにより病院という環境が安心だったようです。
現在は一日一度、吐いています。でも食べることができているので、吐いてもめげずに食べています。
皆さん、苦しい思いをしていることと思います。我慢せず、わたしは、入院をすることをおすすめします。担当の先生に自ら願いでてもかまわないと思うのです。時間が過ぎるのを待つだけのものですが我慢しすぎないようにしましょうね。
追伸 入院中、「便秘」もつわりを悪化させる要因といわれました。徐々に食べられるようになったら今度は「便秘」との戦いが始まりました。食物繊維を多く含む食品を摂取することができない状態のなので、下剤を処方してもらい、なんとかしのいでします。
現在産後4か月になります。去年妊娠してからすぐに強烈なつわりに襲われ食べ物、日用品ほとんどの匂いが駄目になりまりた。1秒もとまらない吐き気と嘔吐で血も吐き夜も眠れず気がくるい自殺も考えました。
すぐに入院となり妊娠悪阻と診断されました。点滴をずっとしていましたがその点滴の水も吐きウェルニッケ脳症になる寸前でした。病室でもずっと死にたい死にたいとそればかり考えていました。
結局1か月で完治しないまま退院しましたが、2日後に再入院しまた1か月入院しました。一体いつになったらつわりがなくなるのか、身も心もぼろぼろでした。周りで妊娠していた人が多かったのですが、つわりがあるのは私だけで何で私だけが・・ともう辛くて辛くて仕方なかったです。中絶も考えており、何回もスタッフにひきとめられました。
やっと望んで出来た子どもで今、中絶したらもう二度と妊娠が怖くて子どもをもつことができないのが怖かったです。でもそんな考えもできなくなってきていました。
ほんの少しだけつわりの症状がましになり、入院生活も2か月過ぎてストレスもたまっており、退院しました。ところがまた症状復活しもう気がくるい、過換気症候群というストレスからくる呼吸困難(パニック障害)を引き起こし救急車で運ばれました。もうその時は中絶をするための入院でもありました。
家族も全員あつまり、わたしはもう精神病にかかり自分の病室に帰ることもできませんでした。産科の先生が精神科の先生を紹介してくれました。私はもうまともに人と話すことが出来ず家族がずっとつきそってくれました。呼吸が苦しくて苦しくてもう死ぬと思いました。精神科の先生はとても親身ないい先生でなんとか妊娠を継続できるよう励ましてくれお薬も考えて処方してくれました。そのあと1か月入院しました。
あまりの辛かった妊娠悪阻で引き起こしたパニック障害はその後もずっとつずき、常に呼吸が苦しかったです。私はこの妊娠悪阻が怖くてもう二度と妊娠はできません。出産は自然分娩ではなく帝王切開となりました。理由は産科的な問題ではなくパニック障害でです。それも正期産の37週1日目で赤ちゃんを出してもらいました。
私も一時期このサイトを見て励まされました。私はいつかこのサイトに書いて誰かの励みになればいいなと思い書き込みました。本当なら今、見ることの出来なかったわが子を見て、がんばって良かったと本当におもいます。
私は重症妊娠悪阻で入退院を繰り返し3ヶ月半悪阻に苦しみました。
その当時なぜ私だけ?という思いからこのサイトにたどりついて、皆さんの体験談がとっても励みになり泣きながら何度も読んでいました。
私は妊娠が発覚した二日後(6週)には酷い嘔吐の為、即入院する事になり、その日から毎日4本の点滴生活が始まりました。食べる事も飲む事も全くできず、点滴を打っても一向に吐き気は治まらず、とにかく吐くものが無くても吐かないとどうしようもない状況でした。
無理に食べると余計に吐き気が襲ってきました。
4人部屋だったのですが、部屋にあるトイレは使用せずに(一度入ると暫く出てこれないので)毎日廊下にある車椅子対応用のトイレにずーっと入りっぱなしで血が混じった胃液や胆汁を吐き続け、何度も何度も手を喉の奥まで入れて涙ながらに吐いてました。食事時の匂いはもちろん、配膳を運ぶ台車の音ですら吐き気を催す程でした。
その時唯一口にできたのが氷です。枕元において常に氷を口に入れていました。そんな状態が続くわけですから自分の体にも異変が起きてきました。
甲状腺のホルモンが異常値となり、妊娠すると見られる傾向でもあるがもしかしたらバセドウ病の疑いがあると言われました。
ケトンは常に+4、体重は-9キロ減り床ずれもできていました。
15週を過ぎた頃から夜だけは比較的寝れるようになりましたが、朝6時の起床と同時にベットから廊下トイレ通いの日々が続いていました。
この辛さを主人や親にぶつけ、毎日大泣きで死にたいと訴えましたが、「一緒に乗り切ろう」と家族が毎日病院まで通ってくれたことが救いでした。入院してから一ヶ月後、一時帰宅も試みましたが全く食べれない・飲めない・めまいがするでこんな日々がいつまで続くのかもう耐えられないとカレンダーを見ては絶望感でいっぱいでした。
ある日(18週辺り)母が持ってきてくれた酢飯を食べてみようかなと思えて、一口食べたら食べれたんです。味は全く分からなかったけど、ただ食べれた事が嬉しくって、それから徐々に口当たりの良い物を食べられるようになり退院しました。
入院生活は約三ヵ月余りでしたが、毎日が生き地獄のように感じられました。
でもその苦しみの中でも沢山の人と出会える事ができて励ましをもらい、今でも子育ての繋がりをもっています。
妊娠から出産までの過程は人それぞれですが同じ母親になる者として我が子に会えた時の感動はきっと一生の宝物になると思います。今は自分なりの自分のやり方で耐えるしかないと思います。
私は出産してみて、出産よりも悪阻の時期が一番大変な時期に思えたので、この時期を乗り越えればもう直ぐ我が子に会えます!!一日一日をどう乗り切ろうか前向きに考えられる日が必ずきます!
私も二人妊娠し二人共悪阻で入院しました。上の子は切迫流産も重なり二ヶ月半入院しました。
私の場合吐くのが辛いとゆうより、酷い倦怠感でまともに起き上がることが出来ない、インフルエンザの高熱で動くのがままならない状態が一番似ていると思いますが。それも二人共出産間際までありました。切迫の薬の点滴は吐き気を誘発するらしく本当に辛かった。
でもつわりがあるから胎児は生きてると思うようにしました。あまりにも辛かったのが長かったので意外と陣痛に冷静でした。この痛みには終わりがある、長くても2~3日だし、って。下の子にいたっては心音低下のため自分の痛みよりNSTの心音のほうが、気になって。産んだ後は元の体調に戻れたのが嬉しくて夜中に起きるのもそんなに大変でなかったかも。とはいえあまり周りに悪阻までなるひとは少ないので一人目のときは心配でした。つわりがひどい人は、悲しいかな痛みには強くなるかも。
私は、一人目ができ現在妊娠17週目に入った妻がいます。重症妊娠悪阻と診断され入院してから早一ヶ月半が過ぎようとしています。
毎日妻の顔を見るのがつらいですが、私の顔を見れる事を楽しみにしている妻、そして何よりも今日こそは、つわりのつらさから快方されているだろう?との期待をもって毎日病院へいっています。妻はよく過喚化呼吸を起こし、又血もはきます。そんな妻を見ているのがとてもつらいですが、この先生まれてくる赤ちゃんの為そして何よりも妻、自分が乗り越えなくてはいけない壁と思って頑張っています。もしも今私と同じ状況で悩んでいるかたが、いらしゃったら前向きに前向きにとらえて一緒に頑張って行きましょう。
私は妊娠発覚の5週からつわりが始まりました。
最初は犬並みに匂いに敏感で、旦那の匂いも嫌。全ての匂いが嫌になりました。OLをしていたので、通勤にはバスを使って降りた瞬間吐くという事も…。
元々吐いたりした事がほとんどない私だったので吐くのは本当に辛かった。「今日は調子いいかも」と思って牛乳を飲んだりしたらすぐ吐く。食欲が全くなく、2週間で4㌔減ってしまった。それで仕事を休んで入院。ひどい脱水症状と診断されました。
4日間の入院の後、自宅へ帰るものの食欲は復活せず、痩せてしまったせいで(元々痩せている方)体力も気力も落ち…。とうとう実家に帰り、療養する事に。
本当にこんな大変なんて妊娠するまで知らなかった!!!旦那が理解のある人だったし、協力してくれたから今があるんだと思う。結局つわりは5ヶ月まで続きました。長い方なのかな?その5ヶ月は死んだようにしてましたけど、今6ヶ月(23週)です。食欲はそんなに増えませんでしたが、気分よく美味しくご飯が食べれます。つわりの時期は精神的にも弱気になるのでこのサイトを見てました。みなさんのつわりが早く良くなる事を祈ります。先月まで栄養状態は最悪でしたが、赤ちゃんはとっても元気に育っています☆
私も始めての妊娠で、すでに2ヶ月からおかしくなり、ずっと10ヶ月近く吐き起き上がれませんでした。先生は入院中「気分転換に散歩したら」、などどいわれ、トイレにいくにもやっとだった私の状況を理解できなかったようです。本当に辛かった。一年過ぎましたが、2人目はまだ怖くて考えられません。
ただ、産後体調を崩し、紹介された針灸の先生は、ずばり「君は、胃腸が弱い脈があるから、しっかり胃腸を正常にしないと、妊娠で胃に水がたまって、ひどいつわりになる!」と言われました。原因をずばり言い切ったのはこの先生だけです。 産婦人科の先生は、精神的なものだ、っと言いました。気持ちの問題だけで、吐き気とめまいがおさまったらとっくにやってる!っと怒りが沸きます。
本当に普通のつわりじゃない方!つらいよね!
余談ですが、産後の不調は、針灸でとても楽になりました。 普通の内科に初めにいたら、安定剤をくれただけで直りませんでした。
27週の妊婦です。私の場合は妊娠悪阻で、8週~21週の間で計三回、2ヶ月と3週間程入院しました。本当につらくて、終わりが見えなくて死んだほうが楽だと何度も思いました。
私の場合は、発作というような感じでその発作が6回もきました。発作の時は、突然吐き初め水すら飲むことが出来なくなり、1日に20回程度吐くというのが3日程続き、その間は眠ることさえほとんど出来ませんでした。
ひたすら点滴で水分補給です。4日目辺りからようやく経口で水をほんの少し口に出来るようになり、2週間程度すると果物、おにぎりなどが少し食べられるようになります。でも落ち着いたと思ったらまた発作がくるのです。もともと体重が少なくて、6ヶ月の初めに最後の発作が起きた時には35kgを切ってしまい、このまま発作が起こり続けたらと思うと不安でしかたありませんでした。
発作のときは赤ちゃんの胎動を感じてもうれしいと思う余裕などどこにもありませんでした。産まれてから愛せる自信もなくなり、自分が冷血であるように感じてつらかったです。
幸いそれから発作が起こることもなく、体重も40kgまで戻ってきました。今は気持ちもとても落ち着いています。おなかの赤ちゃんをかわいいとも思えるし、きっと産まれてきたら仲良くできると思っています。
体が辛い時は精神的にもとても追い詰められてしまうと思います。おなかの赤ちゃんをかわいいと思えなくても自分を責めることはないと思います。
あと、妊娠悪阻が精神的な理由から来ているという考え方には全く納得いきません。私がなってみて思うのは、体質の問題だけだと思います。
つわりがひどく妊娠5週目で入院・・・。退院して自宅に帰っても何を食べても、何を飲んでも吐き続けるのが本当につらかったです。今日は調子が良いぞ!と思い、玄関を出た瞬間に吐いたり、歩いている最中に路上に吐いたり。
目がグルグル回るし、椅子に座っているのも辛くて妊娠した事を後悔してしまったりもしました。
朝目覚めてすることは、トイレに直行し、胃液?らしい泡を吐く。そして会社に行く準備をして車で通勤の毎日。途中で運転できなくなって休憩しながらの通勤をしていました。会社は男性ばかりで、なかなか辛い気持ちを判ってもらえませんでした。平気で残業をさせたり、休日も出勤させることもあったので、本当に会社を退社しようかと考えたこともありました。
日本は本当に古い体制が残ってるんですね・・・。もっと妊婦さんや小さな子供を持つお母さんが、安心して働くことのできる会社環境を整えることができたら、と思います。
現在は9ヶ月に入りつわりも治まりました。仕事も産休に入り、自宅ではインターネットや、天気の良い日は散歩をしています。現在は激太りに悩んでいます。妊婦さんは、つわりで苦しみ、体重管理で苦しみ、社会に悩み、本当に大変なのだと思います。妊娠してからは、町を歩くお母さん達を見て、本当に尊敬する毎日です。お母さんは偉いですね。
私のつわりは妊娠発覚と共に始まりました、5週目位から始まり、終わったのは17週の終わりでした。約3ヶ月間の戦いでした。9週目には重症妊娠悪阻で1週間入院しました。
8週目位から急激に吐き気に襲われる様になり、食べられる物はトマトとリンゴうどん位でした。最終的にはうどんすら食べられなくなり、食べた物を原形で戻すような感じでした。食べた3分後位にはもう吐いてる状態が続いた為、3週間位で4キロ位減り痩せたと言うよりゲッソリと言う感じでした。顔色も悪かったです。
入院のキッカケは検診の時尿検査で、ケトン体が+3の状態で出ていた為です。脱水状態と飢餓状態と言う感じだったみたいです。確かに何にも(ジュースすら吐いてた)食べられなかったし。
入院してからは一時的に食欲が沸いて余り吐かなくなったけど、退院して1週間もしない内にまた具合が悪くなりました。また入院するのは苦だったので、思い切って実家に帰る事にしました。
旦那さんと離れて寂しかったけど、食べ慣れた母の味は精神的に参ってた私を癒してくれました。実家に帰る前は自暴自棄になって、中絶したい~って旦那さんとか親に懇願してました。
もう頭がおかしくなりそうな位辛かったけど、17週の最終日胎動らしき物を感じた頃から段々吐く事が無くなり、18週目からは徐々に食欲が復活しました。
今は22週目に入ろうとしてるんですが、あの物凄いつわりが嘘のように食欲と体力が復活しました。主治医の『時期がくれば必ず治まります』と言う言葉は、つわりが酷い時は信じられなかったけど、ホントに治まりました。
今つわりで精神的に参ってる妊婦さんに言いたいのは、頑張れと言われたら腹が立つと思うので敢えて書きません。乗り切って下さいと言いたいです。
今週でようやく六ヶ月目に入ります。長男の時は軽いつわりだけですみ、あまりつらいこともありませんでした。でも二人目の妊娠は五週目ごろから始まって本当に本当に毎日つらくて「どうしてわたしだけ?・・」と母や旦那に八つ当たりをし、死んじゃったほうが楽だ・・とかわいい赤ちゃんのためとかそんなこと考えられないぐらい頭がおかしくなっていました。
吐きすぎて絶えず動悸があって胸がすごく苦しくて胃がめちゃくちゃ痛くて、ずっとこのままだったらどうしよう、いつまで続くんだろうと・・今思い出すだけでも涙が出てきます。周りからは、吐いても食べたほうがいい・・と言われ私のことを思って言ってくれていたんだろうけど、その言葉がほんとにつらくてもうほっといてよって感じでした。
そして「つらいのは自分だけじゃないんだよ」「具合悪くても仕事してる人もいるんだよ」となだめられた時は、みんなが我慢できるのに私はできないなんて私って弱いんだ。もうだめだ。と、何を言われても悲観的になりました。
二週間ほどの入院を二回して年末年始もありませんでした。
今もまだ気分が悪く吐くこともあります。このまま産まれるまで続くかなと考えることもあります。だけど日に日に気持ちも変わり、仕方ないか・・と開き直れるようにもなりました。少しずつ食べられるようにもなったし、ましになってきたかな・・と。
体験談をさっき始めて見て、もっともっと大変な思いをしてる人もいるんだと勇気づけられました。現在つわりで頑張ってる大変な人たちへ、私から「がんばって」とは言わないけどどうか一緒に乗り越えよう。
いろんな方の悪阻体験談を読み涙が止まりませんでした、同じ体験をした私としては。
4歳と3歳の息子がいますが1人目の時は6週目くらいからだんだん具合が悪くなって食事が摂れなくなりました、これがつわりなんだと思っていた矢先吐き気がひどく一日に何十回も吐いて水一滴でも吐いてしまうので何一つ口に何かを入れることができない状態が続きました。
母に電話で相談したら「つわりだからどうしようもない」というようなことを言われたので1人目で何も分からない私にとっては「そうなのか」と納得するしかなかったんです。
ですが、ますます吐き気と具合の悪さはひどくなり夜眠ることもできなくなりました。この具合の悪さというのは言葉では言い表しようがありません。夜ダンナに「救急車呼んで」と言ったこともあります。そうしているうち起き上がれなくなり寝たきりになりました。そんなとき「つわりといってもこんなにひどいものだろうか?このぐらいひどければ病院に行けばどうにかしてくれるんじゃないか?」と藁をもつかむ思いで力を振り絞りまっすぐ歩けないような状態で一人病院に行きました。ケトンが3プラス出ていて即入院となりました。
家から病院に行く途中と病院で診察してもらうまでの記憶はほとんどありません、なんとかタクシーを拾ったことぐらいです。それぐらいおかしくなっていたということですよね。入院中の治療は点滴を一日に4、5本だったと思います、最初の3日間はやはり寝たきりでぐったりしていました。もう産まなくてもいいと何回思ったか分かりません。体験談の中で死にたいと思ったと言う方がいましたが私も死にたいとも思ったことがあった気がします。
ダンナもこんなにつわりに弱くてで赤ちゃんを産めるのだろうかと思ったそうです。ただ病院の看護婦さんや助産婦さんがいろいろつわりについて相談にのってくれたりアドバイスしてくれたりととても親切だったのでそれが救いでした。ダンナもぐったりしていて話もできない状態の時もお見舞いに来て隣にいてくれて励みになったのを覚えています。
2週間くらいで食事も少し摂れるようになり退院しましたがその1週間後にはまた症状が戻ってしまいまた入院しました。結局この時期に2回も入院してしまいました。5ヶ月目にはおさまりましたが本当に辛い思い出です。今でも思い出すと泣けてきます。二人目の時はつわりが始まると実家にすぐ帰ったので入院するほどひどくはありませんでしたがやっぱり結構吐きましたし5ヶ月目に入るまではすっきりしませんでした。そして今3人目を妊娠しています、5週目です。そろそろつわりが始まるのではと緊張していますが軽く済むことを祈る毎日です。
現在2人目妊娠中(15週)です。私は2歳の娘を妊娠したときも、悪阻で2週間入院しました。でも今回は丸2ヶ月入院し、実はおととい退院してきたばかりです。
上の子のときはかなり無理してしまったので、今回は早めに対処したつもりでしたが、結果は比較にならないくらい重いものでした。入院してからも吐き続け、胃液・胆汁・血も吐きました。もともと痩せ型なのに体重も10kg近く減少し、肝機能も異常になり、最後には持病の喘息発作まで起こしました。
唯一のストレス解消は『泣くこと』。皮が剥け血管の浮き出ない黄白くやせこけた点滴の痕だらけの腕や、歩くことはおろか起き上がることさえ出来ない骨だらけの体をさすり、個室の病室でひたすら「殺してくれ・・・」と声を殺して連日泣きました。
治療は1日4本の点滴(うち2本はガスターで、1本はビタメジン)とプリンペランの追加点滴。喘息のため吸入とステロイド使用しました。壮絶に苦しむ私に、両親は中絶をすすめました。でも主人は「子供好きなお前が中絶したら、元気になったらきっと一生自分を責めるだろう」と諭してくれたため、思いとどまりました。入院した病院は公立の大きな総合病院ですが、主治医はじめ医療スタッフはとても献身的で、そのことも大きな救いでした。
私は正職員として勤めているので、2週間の自宅安静の後に復帰します。つわり等妊娠・出産にともなう休職について制度的には整っている職場ですが、決してそこにいる人間が理解してくれている訳ではありません。突然2ヶ月以上も休まれた職場にしてみれば迷惑以外の何者でもないのは当たり前ですが、休みたくて休んだ訳でもなく、復帰してもしばらくはつわりと風当りの辛い日々が続きそうです。
私はここの書き込みを読んで共感し、何度も救われました。今度は私の体験が誰かの役に立てば幸いです。
私は今33週です。吐きつわりが始まったのは5週のころから17週くらいまで続きました。
最初の1ヶ月は家から一歩も出れず、お風呂にも入れず、何も食べられず飲めず氷を口に入れる程度で、歩くだけで吐いてしまって寝たきりでした。体重も10キロも減ってしまい吐くものもなくて血を吐いてしまいもう限界だと思い医者に頼んで入院させてもらい40日間入院して毎日点滴をしました。
医者には気分転換をすれば違うわよとかお風呂入ってごらんとか 何でもいいから口の中に物を入れてみてとか 私にはつらい言葉ばかり毎日言われました。無理してお水を飲んだりすると吐いてしまい 食べてないから便通がまったくないため 下剤を飲まされてトイレに行ったら 貧血を起こしてしまったり 入院生活もすごくつらいものでした。
退院してきてしばらくしてゆっくり食べ物を口にするようになり退院してから2週間後には 普通に食事も取れるようになりました。ずっとお休みしていた仕事にもいけるようになり退院して4ヶ月近くなる今少しずつ つわりのつらい記憶も消えてきましたがやはり思い出すとつらいです。最終的に体重は15キロ減りましたが
、食欲が戻ってから食べ過ぎてあっという間に10キロ太ってしまいました、今つわりで苦しんでる方必ず終わりは来ます。今はつらいけど その分赤ちゃんが元気なんだと思って 乗り切ってください。誰もつわりのつらさをわかってくれる人はいないと思います。でも必ずおわるからがんばろう。。。。つわりの間は何も食べたくないと思うから無理して食べることないと思います
食べなくても赤ちゃんは元気に育つから大丈夫だよ。。。
妊娠が分かった一週間後、突然つわりは始まりました。一日中続く吐き気と嘔吐。それでも食べては吐きを繰り返しながら仕事を続けていましたが、5日後とうとうダウンし婦人科を受診しました。
尿からはケトンが大量に出ていて、妊娠悪阻と言われすぐに入院となりました。入院中は絶飲食で一日中点滴をしていました。
5ヶ月前に悲しい流産を経験したので、つわりがひどくても妊娠していることがとてもうれしく思っていました。それでも一日中船酔いみたいで、何も出来ずにベッドに寝たきり状態でした。
ピークは8~9週頃で、1時間半~2時間置きに胃液を大量に吐いていました。ふらふらの状態でトイレに行き吐くと、胃液が鼻からも出てきて・・・一日中何十回もそれの繰り返しでした。そんな時助産婦の友だちから「辛いときはいっぱい泣いていいんだよ。今は辛いけど、きっと喜べる日が来るから。」と励まされました。自分の中でがんばってた糸が切れた感じで、その場で大泣きしてしまいました。その後も状態は変わらなかったんですが、気持ちは大分楽になりました。辛いときはいっぱいいっぱい泣いて、吐き続けました。
結局13週まで水も飲めず、体重は週に1Kgづづ減りマイナス6Kgになりました。その頃になると、食べても吐くんですが今度は食べたくて食べたくて仕方がありませんでした。テレビのグルメ番組や料理雑誌ばかり見ていました。
頭の中は一日中食べ物のことばかり。でも吐くので食べられない。そんな私を見て、ある日夫が大量にお惣菜を買ってくれました。「食べたつもりで口の中に入れて噛んで出してみては」と。名づけて「噛み噛みぺ作戦」。言われたとおりやってみると、満足感が得られて気持ちが落ち着きました。この方法でしばらくは乗り越えました。15週頃になると、ある日突然パンが食べられるようになりました。その後も徐々にいろんなものが食べられるようになりました。
今は7ヶ月に入りましたが、嘘のようになんでも食べられます。体重も妊娠前プラス1Kgまで回復しました。あの時はこんな日が来るとは考えられませんでした。今苦しんでるみなさん、いつかは必ず終わりますからがんばってください。
まず、このサイトを去年の今ごろよく読ませていただきました。今年の四月に、八ヶ月の切迫早産になり、帝王切開にて出産しました。
私は、11年前に長男を生んでいますが、かなりひどいつわりに悩まされました。ですから、正直今回の妊娠は、驚きと恐怖しか浮かびませんでした。
5週ですでに、ムカムカが始まり、7週には吐き気が襲い、寝付いてしまいました。そこからが、地獄の始まりでした。長男の時の100倍ひどいつわりが、やってきたのです。
食事はおろか、水さえ受け付けず、一日に30回以上吐き・・・あまりのつらさに「なんで、私ばかりつらいの?」と主人と長男にあたりちらす日もありました。3週間で10キロやせてしまった時、「このままでは、死んでしまうかも?」と、危機感を感じとうとう入院となりました。
少しは、楽になれるかもと、期待したものの、そううまくはいきませんでした。絶食で、ほぼ24時間点滴・・・吐き気どめもなかなか効かず。だんだん、苦しさから生きる意欲がなくなっていくのが、自分でもわかっていました。
「このままずっと、この苦しみから逃れられないんじゃ?」などと考える毎日。情緒不安定に陥り、とうとう中絶を口にするまでになにました。主人、担当医、看護士を交え話し合い・・・中絶書にサインしました。
思えばこのとき、誰ひとりとして「もう少し頑張れないか」といわなかったのです。その対応が私の気持ちを落ち着かせ・・・手術までの2日間冷静に考え、時折次々に出産したママ達を横目に泣いたりして、結局手術2時間前に中止しました。
不思議なことに、その日を境にいちども吐かなくなり、すこしずつ口から食事を摂れるようになりました。今思うと、長男が手が離れ、趣味と仕事の両立で、楽しい毎日だったのに、いっきにスタートに逆もどりした気がして、とまどいが大きかったのだと思います。結局2ヶ月入院しました。つわりは、だらだらと生まれる日まで続きました。中毒症・感染症・切迫早産・と最後まで大変な出産でした。
でも、みなさんかならずつわりは、終わりが来ます。つらいですが、これはホントですから。
よいご出産を迎えられますように。
ようやく7ヶ月目を迎えようとしている妊婦です。
5週目で出血、切迫流産と診断され、そのあたりからツワリが始まりました。
初めは胃の不快感(痛い、気持ち悪い)から始まり、吐くようになりました。吐く回数も次第に増え、一番酷い時期は1時間に1度は必ず吐く状態。食べ物は見るのも嫌になり、テレビのCMですら見られなくなってしまいました。
夜中も15分に一度は気持ち悪さで起きるので、まともに眠ることも出来ません。氷はかろうじて食べられるものの、いっぺんに食べられるものではないし、どうせ直ぐに吐いてしまうので最終的には胃液まで吐き出し、喉が荒れ、血まで吐くようになってしまいました。
体重も5キロほど減ったので、いつもの病院へ相談に行くと「氷が食べられるなら大丈夫よ。元々標準体重より多いんだから、痩せて丁度良いわよ。少し脱水症状を起こしているから点滴だけ受けて帰ってね。」と言われ、点滴のみで帰ってきました。
その時、看護婦さんから「きつかったら夜中でもいいから、点滴を受けに来ていいわよ」と言われ、その後1週間に1度点滴を受けに行きましたが、車で片道30分かけて点滴を受けに行くほどの効果があるわけでもなく、次第に自宅で寝たきりの生活を送るようになりました。
また、この頃から脈拍が異常に上がり、常に140ほどあったと思います。
寝室からたかが5歩の距離のトイレに行くにも、這って行かなくてはならないほど、体力が落ちていました。お風呂に入ることも出来ず、肌が異常に乾燥し、主人から「顔色が悪すぎる。どす黒い色をしているよ」と言われていました。また、尿にも血が混ざり、排尿痛もありました。
それでもどうせ再び病院を訪れたところで、なにか対応してくれるわけでも無さそうだったので、ひたすら耐えるしか無かったのです。
ところがある日、右腰に激痛が走り急いで病院へ行くと、極度の脱水症状による腎臓結石と診断されました。とうとう腎臓にまで影響が出ていたのです。そしてその日体重を量ると、妊娠前から13キロ減っていました。
それでもその病院は小さな個人病院のため、部屋が空いていないとのことでやはり帰されてしまいました。一応、部屋が空き次第、重度妊娠悪阻で入院させてもらえるとの話しでしたが、結局4日経っても連絡はこず、今度は左腰に激痛が走り、とうとう救急車で運ばれてしまいました。
両方に結石が出来ることは滅多とないそうですが、両方に出来てしまいました。
運ばれた総合病院で色々検査を受け、肝数値も異常に高いと言われ入院することになりました。
妊娠肝(妊娠による体の拒否反応で、自分の肝臓を蝕む原因不明のものと説明されました)の疑いがあるとのことで、もしそうなれば妊娠継続不可能とまで言われました。脈も落ち着かず、少し歩くだけで動悸が激しくなり、病院内では車イスでの移動でした。
幸い、肝数値は妊娠悪阻による一時的な肝障害と診断され、入院中の手厚い看護によりツワリも段々と終わりを向かえ、無事、退院することができました。その後、腎臓と肝臓は通院を続けて経過を見なければならないため、産婦人科も同じ総合病院に転院しました。
また、減った体重も2ヶ月であっという間に元に戻り、今のところ順調な妊婦生活を送っています。
5週目から14週目、自分では随分長い間苦しんだ気がしますが、みなさんの体験談を見るとまだまだ辛いツワリがあるんだなぁ…と思います。
ツワリの間、「ツワリは赤ちゃんが元気な証拠だから」と気休めなことをよく言われましたが辛かったです。ツワリが全く無い人でも、元気な赤ちゃんを産んでいるのに何故私だけ?と思いました。でも終わってしまえば、本当に乗り越えるしか道は無いんですよね。
本当に辛かったら、本当に信頼できるお医者さんに頼って入院させてもらうべきだと感じました。腎臓結石は死ぬほど痛いです。みなさんも頑張って下さい!
このサイトでずいぶんと励まされました。一人目の時はムカムカ程度で吐くことはなく、一日も会社を休まずに通勤できましたが、今回二人目の妊娠でかなり気力体力ともに参っています。
5週頃朝食で食べたオートミールに吐き気をもよおしたのをきっかけに、1日3~4回のペースで毎日毎日吐いていました。ご飯類を食べると吐くとき米粒がのどにひっかかってつらいので、ほとんどパン類のみ、あとはポタージュなどのスープ類とトマトなどを食べていました。
食後はそれらが消化されずに胃に残っている感覚で、胃の中でグルグルまわって1時間後に全部吐き出すというかんじです。ピークは8,9週目あたりで毎日6~7回ほど吐いていました。その頃になると、ゼリーやアイスクリーム、りんごすりおろしなど食べても吐く始末で、食べる物がありませんでしたが、意地でなにか口にしていました。
その時期に通勤途中で3回ほどめまいで倒れ、救急車で病院に運ばれそのまま点滴入院となりました。尿回数もだいぶ減り、尿の色も濃かったので脱水症状もありました。通勤時はゲロ袋持参で、バスの中で吐いたこともあります。そういうわけで体力が日に日に弱っていると実感したのでとにかく吐いてもいいから食べるようにしていました。
皆さんも同じだと思いますが、毎朝起きるとカレンダーを眺め、時間が経つのが遅くかんじられました。幸いなことに頭痛や眠気、腰痛などのほかの症状は一切なかったのと、夫の理解が得られて家事を一切しなくてよかったこと、上司の理解が得られたことなどです。今まだ12週ですが今はたいぶ楽になり、1日おきに1回吐く程度です。確実に少なくなってきていると実感します。
現在5ヶ月になる女の子を持つ母親です。妊娠中はとことん悪阻に苦しめられ、このサイトを見て何度も泣き、又勇気付けられました。
出産は30時間程かかり経験したことない程の痛みでしたが、やはり振り返ると悪阻の方がつらかったです。期間は4週から始まり24週位まででした。その後も吐いたりしていましたが、それは悪阻ではなく大きくなったお腹に胃が圧迫されているからと病院で言われました。最初の一週間は何か食べていないと気持ち悪くダラダラ食べていました。その後は、どんどん食べ物を受け付けなくなりました。
何でこんなにもと思うほど全ての食べ物、ニオイが気持ち悪く、水分すら一切受け付けませんでした。それでも、絶え間なく襲って来る吐き気、吐いても吐いても吐き気は治まらず、逆に吐きすぎて喉が焼けるような激痛と胃痛が24時間治まることはありませんでした。胃が痛すぎて寝るどころか横になることすら出来ず一日中ソファーにうずくまっていました。うとうとしても、すぐに吐き気で目が覚めトイレに駆け込むの繰り返しでした。本には外に出て気分転換をとか、食べられるものを少しずつなどと書いてありましたが、玄関を出て外の空気を吸うだけで戻ってトイレに駆け込み吐き、頭はグルグルまわり地面はグニャグニャまっすぐ歩けているのかすらわかりませんでした。
体重は一週間で5キロ減り、心も体もボロボロでした。
母に連れられやっとの思いで病院に行くとケトン体+4で即入院になりました。
重症妊娠悪阻と診断され、24時間点滴を打ってもらいました。これで少しは楽になるかなと思いましたが、あくまで栄養補給の物と言われて、実際吐き気はまったく変わりませんでした。漢方も処方されましたが、逆に胃が余計痛くなり一度飲んだきり。
悪阻に効くと言う事を試したりもしましたが、私の場合は当てはまらなかったようで、もう耐えるしかないんだなとおもいました。
でも今振り返るとほんとに一番ピークは7週から12,3週かなと思います。
その前後ももちろん辛かったですが・・・。
少しずつ食べられる様になってきても、吐きやすいものを選んで食べていました。
ご飯粒は吐く時の喉に引っかかる感じがすごく嫌で避けていました。
あの辛い辛い悪阻は、かわいい我が子に出会う為にあった。そう思えるのは悪阻がなくなり、我が子をこの胸に抱いた今だからだと思います。
悪阻が一番ひどい時期は、お腹も大きくないし胎動もありません。
この子の為になんて、考えてる余裕はありませんでした。ただ耐えるのみ。今日が終わっても明日も同じように一日中苦しみ、またその次の日もその次の日も、と考えるだけで愕然とし、涙が止まりませんでした。
毎日がこれでもかという位長く、もうずっとこのままかもしれない。と思ったりもしました。妊娠する前の元気な自分を思い出せなかったです。
今でも時々胃が痛くなったり、嗜好の変化が戻らない物もあります。思い出して涙する事もあります。
でも無邪気な我が子の笑顔を見るとがんばって良かったと心から思います。
今苦しんでいる方も、すごくすごく長くて辛くても、先が見えなくてもその先に幸せが待っています。五ヶ月を過ぎた頃には胎動を感じたり、症状も少しずつかもしれませんが和らいで来ると思います。「ガンバッテ」はとても辛い言葉でした。
つわりは、人それぞれ違います。少しでも自分に合った対処法を見つけ乗り越えて下さい。どんなに辛くてもちゃんと前に進んでいます^^